比企谷八幡のプロフィール
比企谷八幡(ひきがや はちまん)
・渡航による日本のライトノベルの『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』に登場する架空の人物で、本作の主人公。
・己の経験を集約した「青春とは嘘であり、悪である」と題する作文を書き、静によって懲罰名目で奉仕部に強制的に入部させられる。
・長年人の醜い部分を見てきたため洞察力に優れ、表面的な現象や世俗的な正義のみにとらわれることがない。
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比企谷八幡の名言 30選
(1) 彼らの仲間意識というのは相当なもので、自分の群れ意外とはあまり話さない。単独行動時に他の群れに交じろうとしない。それを考えると結構排他的であり差別的だ。つまり、逆説的にぼっちマジ博愛主義者。何も愛さないということはすべてを愛することに等しい。やべぇ、マザー比企谷と呼ばれるのも時間の問題だろこれ。
~比企谷八幡~
(2) なぜ自分の感じている楽しさを、自分の正しさを、己一人で証明できないのか。
~比企谷八幡~
(3) 地元の公立小学校から公立中学校にあがる場合、それまでの人間関係も継続する形になる。小学校卒業時のマイナスを抱えたままスタートしなければならない。新しく友達ができそうになっても、過去の負債がどこからか入り込む。
~比企谷八幡~
(4) 人生には一度や二度、孤独と向き合うべきときってもんがある。いや、なきゃいけない。始終誰かと一緒にいていつもいつでも傍に人がいるなんて、そっちのほうがよほど異常で気持ちが悪い。孤独であるときにしか学べない、感じられないことがきっと存在するはずなのだ。
~比企谷八幡~
(5) みんなって誰だよ……かーちゃんに『みんな持ってるよぉ!』って物ねだるときに言うみんなかよ……誰だよそいつら……友達いないからそんな言い訳使えたことねぇよ……。
~比企谷八幡~
(6) 真の強者は群れたりしない。ひとりぼっちってやつはいつだってこの世界全てと対立しているようなものだ。俺VS.世界とかまるでセガールである。セガール的に考えて俺マジセガール。
~比企谷八幡~
(7) 本来、ぼっちというのは誰にも迷惑をかけない存在だ。人と関わらないことによってダメージを与えない、究極的にエコでロハスでクリーンな生き物なのだ。
~比企谷八幡~
(8) 本当に何故かわからないのだが、俺たちスクールカーストが低い連中は上位カーストに出会うと萎縮しちまうんだよな。廊下とかで絶対道を譲っちゃうし、話しかけられるとまず八割がた噛む。それでさらに嫉妬や憎悪が高まるかというとそうでもなく、名前なんて覚えてもらっていた日にゃ逆にちょっと嬉しかったりするのだ。
〜比企谷八幡~
(9) 人に好かれるくせにぼっちを名乗るとかぼっちの風上にも置けねぇな。
~比企谷八幡~
(10) 服選んでるときに話しかけるのほんとやめてほしい。服屋の店員さんはぼっちが放つ「話しかけんなオーラ」を感じ取るスキルを身につけたほうがいい。そのほうがたぶん売り上げ上がるぞ。
~比企谷八幡~
(11) ぼっちが誇るべきはその深き思索。本来、対人関係に割かれるべきリソースをただ自分一人に向け、内省と反省と後悔と妄想と想像と空想とを繰り返し、やがて思想と哲学とに行きつくほどに、無駄な思考力。
~比企谷八幡~
(12) 畢竟、人とうまくやるという行為は、自分を騙し、相手を騙し、相手も騙されることを承諾し、自分も相手に騙されることを承認する、その循環連鎖でしかないのだ。
~比企谷八幡~
(13) ぼっちの特性として「自分の名前を呼ばれることに敏感」というのがある。普段、名前を呼ばれることが少ない分、たまに呼ばれたときに超反応を示してしまうのだ。ソースは俺。驚きのあまり、「ひゃ、ひゃうい!」とかとんでもないリアクションしちゃうよな。
~比企谷八幡~
(14) けれど、俺は今の自分を過去の自分を否定しない。一人で過ごした時間を罪だと、一人でいることを悪だと、決して言わない。
~比企谷八幡~
(15) リア充はリア充としての行動を求められ、ぼっちはぼっちであることを義務づけられ、オタクはオタクらしく振る舞うことを強要される。カーストが高い者が下に理解を示すことは寛大や教養の深さとして認められるが、その逆は許されない。
~比企谷八幡~
(16) 孤高であることは強い。繋がりを持たないということは守るべきものを持たないということだ。守るべきもの、それは言い換えれば弱点にほかならない。かのギリシャの英雄アキレスにも、最強の僧兵武蔵坊弁慶にも弱点があったからこそ敗れた。きっと彼らは弱点さえなければ歴史に勝利者として名を刻んだはずである。
~比企谷八幡~
(17) 一人なら無色透明でノーダメージだが、先生と組まされると、無職童貞くらいのダメージを受ける。
~比企谷八幡~
(18) 人間関係に悩みを抱えるなら、それ自体を壊してしまえば悩むことはなくなる。負の連鎖ならもとから断ち切る。それでいいのだ。逃げちゃダメだなんて強者の考え方でしかない。それを強いる世界こそが間違っている。
~比企谷八幡~
(19) 元来、人間のコミュニケーションは言語によって行われているのは三割程度だという。残りの七割は目の動きやちょっとしたしぐさから情報を集めているのだ。目は口ほどに物を言う、という言葉はこうした非言語コミュニケーションの重要性から来ている。
~比企谷八幡~
(20) 俺と会話するなんて、こいつも実はいい奴なのだろうか。だが、いい奴なのだとしたら話を広げてやれなかったのが申し訳ない。あまりにも申し訳ないので今後は迷惑をかけないように二度と話をしないことにした。
~比企谷八幡~
(21) 話しかけられて喜ぶ最大の理由は自己承認欲求が満たされるからなのだと俺は思う。
~比企谷八幡~
(22) ってみれば独りぼっちとは思考の達人だ。人は考える葦であるというように、気づけば何事か思案している。なかでも独りぼっちは他人に思考のリソースを割く必要がないぶんその思索はより深いものになる。したがって我々ぼっちは余人とは違う思考回路を持つに至り、時に常人の枠を越えた発想が飛び出たりするのだ。
~比企谷八幡~
(23) けど、こういう光景はなんだか懐かしいな。修学旅行や林間学校の帰りのバスみたいだ。はしゃぎ疲れたクラスメイトたちは元気を使い果たして静かになっているのだが、俺は特に元気を使うシーンもなかったせいで、一人冴え切った眼でずっと外を見ていたものだ。
~比企谷八幡~
(24) ほんと急に下ネタになるとどう反応したらいいかわからず、ワンテンポ間を開けてから「最近性欲ないわー」とか見栄を張ってしまうのは何故なんだろう…。
~比企谷八幡~
(25) 今日から始める、一人なんて怖くない対策その一、「他人を見たら他人と思え」である。ちなみにその二はない。
~比企谷八幡~
(26) 人に知られてなくてごめんなさい、とかこんな悲しい謝罪をするのは初めてである。
~比企谷八幡~
(27) 同じカテゴリに属し、恒常的にコミュニケーションを交わしているからこそ、その親密性は保たれる。そうしたシチュエーションに依存して人の関係性はようやく接続できるのだ。
~比企谷八幡~
(28) 特殊で何が悪い。英語でいえばスペシャルだ。なんか優れてるっぽく聞こえるだろ。
~比企谷八幡~
(29) ぼっちは平和主義者なのだ。無抵抗以前に無接触。世界史的に考えて超ガンジー。
~比企谷八幡~
(30) 俺もそうだが悪口や暴言は言われ慣れてると切り返し方と言うか折り合いのつけ方がうまくなるのだ。何この悲しいスキル。涙出てくるわ。
~比企谷八幡~