豊田喜一郎のプロフィール
豊田喜一郎(とよだ きいちろう)
・1894年6月11日 – 1952年3月27日(57歳没)、静岡県出身
・日本の経営者、技術者、トヨタ自動車創業者。トヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)社長(第2代)、社団法人自動車技術会会長(第2代)などを歴任した。
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豊田喜一郎の名言 20選
(1) 作ってやる、売ってやるではいけない。
買ってもらう、作らしてもらっている、という気持ちでなくてはいけない。
~豊田喜一郎~
(2) 現場で考え、現場で研究せよ。
~豊田喜一郎~
(3) 私が憂慮しているのは、諸先輩の努力で確立した「ゆるぎなき自信と自負」が「慢心」に転化していないか、
これまで当然見えていたものが、当たり前として見えなくなっていないか、
また、「安易な習慣化」により努力が適切に評価されなかったり、チャレンジ精神をむしばんでいないか、ということである。
~豊田喜一郎~
(4) 機械は人間と一体になって完全になる。
~豊田喜一郎~
(5) 今日の失敗は工夫を続けてさえいれば、必ず明日の成功に結びつく。
~豊田喜一郎~
(6) 自分で手を汚す。
~豊田喜一郎~
(7) 技術は金で買えない。
個別の技術ですぐれたモノは海外から導入してもいいが、大きな技術の体系、産業としてのシステムは、自前で組み上げないと決して定着しない。
~豊田喜一郎~
(8) どうせやるなら、世人の一番難しいという、大衆乗用車を作ってみようという立場からやりたかったのです。
~豊田喜一郎~
(9) 勿論、人のやったものをそのまま輸入する必要もありますが、何と云っても、苦心してそこまでもって行った者には尚それをよりよく進歩させる力があります。
人のものをそのまま受け継いだものには、楽をしてそれだけの知識を得ただけに、さらに進んで進歩させる力や迫力には欠けるものであります。
日本の真の工業の独立をはからんとすれば、この迫力を養わなければなりません。
~豊田喜一郎~
(10) 誰もあまりやらない、またやり難い事業をものにするところに人生の面白味がある。
~豊田喜一郎~
(11) 手が油まみれになっているか。
~豊田喜一郎~
(12) できないという前に、まずやってみろ。
~豊田喜一郎~
(13) 言った通りにやれ、それでできなくても文句はいわぬ。
~豊田喜一郎~
(14) (佐吉翁の「余り深入りするな、早く本業の紡績に移れ」に対してのの返答)
しかし技術者には一つの意地がある。
やりかかったらそれを完成して見たいという意地である。
~豊田喜一郎~
(15) 我々日本人の誰かが自動車工業を確立しなければ、日本 のあらゆる民族産業が育ちません。
それは別にトヨタでなくともいい。
けれども現状のままでは、カナダがフォードのノックダウン生産(部品を輸入し組立だけを国内で行 う)に占領されて自動車工業など芽もないように….日本も同じ道をたどります。
引いては日本の工業が全部アメリカの隷属下に入り、日本は永久にアメリカの経済的植民地になってしまいます。
~豊田喜一郎~
(16) 困難だからやるのだ。
誰もやらないし、やれないから俺がやるのだ。
そんな俺は阿呆かも知れないが、その阿呆がいなければ、世の中には新しいものは生まれないのだ。
そこに人生の面白みがあり、また俺の人生の生き甲斐が、そこにあるのだ。
出来なくて倒れたら、自分の力が足りないのだから潔く腹を切るのだ。
~豊田喜一郎~
(17) (「ジャスト・イン・タイム」の生産方式に対する部下の「フォードの工場ではそんな事はしていません」という言葉に対して)
フォードがどんな方式を取っておろうと、トヨタはトヨタでやります。
フォードよりすぐれた方式を打ち立てねば、フォードに勝てません。
~豊田喜一郎~
(18) 発明は知識そのものよりも、それをいかに自分のものにしているかにかかわる。
学校を出ない人が往々にして相当な発明をするのはそれ故である。
これを世の人のために活用し得るまでには、いろいろな研究と大きな努力がいる。
その努力の中に発明が生まれてくるものだと私は思っている。
発明は努力の賜である。
~豊田喜一郎~
(19) 私は之を「過不足なき様」換言すれば所定の製産に対して余分の労力と時間の過剰を出さない様にする事を第一に考えて居ります。
無駄と過剰のない事。
部分品が移動し循環してゆくに就いて『待たせたり』しない事。
「ジャスト、インタイム」に各部分品が整えられる事が大切だと思います。
これが能率向上の第一義と思います。
~豊田喜一郎~
(20) 技術者は実地が基本であらねばならぬ。その手が昼間はいつも油に汚れている技術者こそ、真に日本の工業の再建をなし得る人である。
~豊田喜一郎~