堤康次郎のプロフィール
堤康次郎(つつみ やすじろう)
・1889年3月7日 – 1964年4月26日、滋賀県愛知郡出身。
・日本の実業家もしくは財界人で、滋賀県選出の衆議院議員として政治家でもあった。
・西武グループ創業者であり、第44代衆議院議長も務めた。
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堤康次郎の名言 20選
(1) 全員が賛成したら、その計画は危ない。
~堤康次郎~
(2) すべて成功するには、失敗の原因を外に求めず、己れに求めることが大切である。
~堤康次郎~
(3) (家憲)事業に役人の古手を連れて来ることは最もよくない。
役人気質で事業は成り立たない。
〜 中略 〜
役人気質は日々生死の境を行く真剣な事業家のなす処ではない。
~堤康次郎~
(4) 景気の良い時は抑えろ、不景気の時に動け。
~堤康次郎~
(5) 私は三十歳になるまで、百事百敗、何をやっても大した成功はおさめなかった。
だます人間をあまりにたくさん相手にしたからである。
しかし、今になると、これが私のたいへんな得になった。
だますことは一ペンコッキリだ。
あとが絶対通用しない。
そのうえ、十を得たところで百を失い、千を失う。
元も子もなくす損な生き方だ。
そこへいくと、だまされるのは生来の馬鹿でないかぎり、それによってたいへん知恵がつき、用心深くなる。
二度と再び失敗せぬように警戒する。
それがあとでどれだけの得になるか、測り知れない。
だまされるのが利口でないまでも、だます方はよほどの大馬鹿ということになる。
~堤康次郎~
(6) 相手を騙す気が無くても、騙されたと思わせるような曖昧な態度だけは、断じて取ってはならない。
~堤康次郎~
(7) (息子・清二に対し語った言葉)
家庭だけは複雑にするなよ。
~堤康次郎~
(8) 私鉄でストがないのは西武ぐらいなもので、なぜストがないのかといって聞かれることもたびたびである。
別に大した理由はない。
私が西武鉄道から財産をつくっていないということ。人事に公平だということ。
従業員と一緒に仕事をしているという気持ち。
そんなことがあげられるのではなかろうか。
~堤康次郎~
(9) 自分は生きている値打ちのない人間だとまで思った。
思い悩んだ末に考え付いたのが「儲けようと考えたのがいけない」ということだった。
自分は儲けなくてもいいから、この世のために少しでもできるだけのことをしようという奉仕の心だった。
~堤康次郎~
(10) 人のやらぬこと、やれぬことのみをやった。
~堤康次郎~
(11) 西武は数千人の小人数で、家族的に纏まっているからうまくいく。
国鉄のような大きな所帯は、私は統卒すべき器ではありません。
そんな柄にもないことをやったら世の中の笑いものになる。
まして私は追放中の身です。
~堤康次郎~
(12) 世の人は糞尿は臭い、汚いと言うが、しかし美人の腹の中にも糞尿はある。
外へ出せば汚いが、腹の中に密閉しておくからなんともない。
糞尿を密閉した貨車で送って、外気に触れないで処理すれば何でもない筈だ。
所沢の農場で、尿と糞とを仕分けして、尿はパイプで畑の中へ送る。
これで野菜を作ってまた腹の中へ還元する。
これを繰り返すことが天地の理法に適ったやり方だと思った。
~堤康次郎~
(13) 儲けよう、儲けようと焦れば焦るほど失敗する。
他人がいいぞと言ったり、上手く儲けた話を聞いて、あわてて手を付けると、もうその時は手遅れだ。
いつまでも柳の下にドジョウがいるわけではない。
~堤康次郎~
(14) それまでに経験した失敗は、人生観を見出すための月謝と思えば安いものだ。
~堤康次郎~
(15) 私は20歳代の時には、儲かりそうな仕事に見境なく飛びついた。
そしてことごとく失敗した。
30歳代に入ってようやく目は覚め、今度は人のやらぬこと、人のやれぬことのみをやった。
それで成功したのである。
~堤康次郎~
(16) (事業を失敗した時の言葉)
二十歳で体のかっこうは一人前になるが、判断力は五歳ぐらいの子供にすぎない。
~堤康次郎~
(17) 人のやらぬこと、人のやれぬこと、やはりそれを自分自身の頭で考え出してやらねばウソだ。
しかも、それが金儲けのための金儲けでは、決してモノにならない。
~堤康次郎~
(18) 「みながやるから自分もやる」ということで、無理をしてまで仕事をしようとするな。
~堤康次郎~
(19) (土地開発に関する理念)
日本が発展すれば中産階級が台頭し、リゾート地の需要が大きく高まる。だから中産階級が使えるリゾート地を開発することは、国のためになるのだ。
~堤康次郎~
(20) 私の死後10年間は新しい事業に手を出すな。
~堤康次郎~