和田アキ子のプロフィール
和田アキ子(わだあきこ)
・日本の歌手、タレント、司会者、ラジオパーソナリティ。
・所属芸能事務所は株式会社ホリプロ。
・在日韓国人として出生し、その後日本へ帰化。
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和田アキ子の名言30選
(1) (緊張し始めたのは)本当の意味で詩の重みや詩の内容を語りたくなってきてからだと思います
~ 和田アキ子 ~
(2) 阿久(悠)さんの事思い出したり、レイちゃんの事思い出したり、関西弁でおかんっていうんですけど死んだ母親の事思い出したりして、歌いながら涙ぐむのは何回かありましたね
~ 和田アキ子 ~
(3) 誰にでもチャンスがあるってことはそれだけ人より努力していかなきゃいけない
~ 和田アキ子 ~
(4) ひばりさんに「緊張して歌えないんです」って言ったら頭コツンって叩かれて「歌うあんたが緊張したら聴く方はどうすんだよ」って言われて。あの人わりとべらんめえ口調だったんですよ
~ 和田アキ子 ~
(5) 歌になるとこれがまぁ、舞台前はコップに入ってる水が飲めないんですね、震えて衣装にこぼしちゃうので。それからはストローで飲むようになっちゃって。それっくらい歌は緊張しますね
~ 和田アキ子 ~
(6) 歌うときだけ。なぜか歌のときだけは緊張するんですよ
~ 和田アキ子 ~
(7) 私がこの世界に入ったのはやっぱりレイ・チャールズという人のおかげですから
~ 和田アキ子 ~
(8) 聖地です、聖地。最初は想像もつかなかったわけですから、今やれる事の幸せをすごく感じますね
~ 和田アキ子 ~
(9) 自分がちゃんと歌って次の世代のミュージシャンたちに扉を開きたいという責任感はあります
~ 和田アキ子 ~
(10) 一番の思い出と言えばね、やはりデビュー30周年のコンサートを東京国際フォーラムでやった時でしょうね。レイちゃん(レイ・チャールズ)、私はレイちゃんって呼んでるんですけど、レイちゃんは私のためだけに2日間日本に来てくれてね。その時に一緒にコラボレーションできた事が最大の思い出だと思いますね
~ 和田アキ子 ~
(11) 先日、ティナ・ターナーのライヴDVDを観たんですよ。パワフルでした! もう70代でしょ? それでもあれほど迫力あるステージをやれるとは。私もまだまだ頑張らなくては
~ 和田アキ子 ~
(12) 心に響く歌は、技術や声質が優れているだけではありませんよね。バラードでも、アップテンポでも、自分の持つすべてで歌うシンガーが、私は好きです
~ 和田アキ子 ~
(13) 10代からリスペクトする偉大なアーティスト、レイ・チャールズと初めて会ったのが実はニューヨークのブルーノート。生涯忘れない出会いでした
~ 和田アキ子 ~
(14) ヴォイストレーニングにそれまで以上に力を入れました。すると、いくつもの発見がありました。長く歌ってきた私の曲にも微妙なピッチのずれが見つかったり。それを1つ1つ修正していきました。何千回も歌ってきた『あの鐘を鳴らすのはあなた』も『古い日記』も『夢』も全部です
~ 和田アキ子 ~
(15) 音楽って不思議で、仕事やプライベートでの出会いや別れ、いろいろな体験の大切さが歌うことで身にしみるようになるんです。その気持ちがまた歌に反映される。20代の私よりも、今の私のほうが1曲1曲の歌詞を深く理解して、皆さんにお届けできるはずです
~ 和田アキ子 ~
(16) 私を表現できる唯一のもの。私のすべて、命です。歌と水がなければ死んじゃいます
~ 和田アキ子 ~
(17) 長年の友達がゴールドコーストに住んでいて、とてもいい所だから1度いらっしゃいよと勧められていたんです。それで行ってみたらすごく気に入って、別荘を買ったんです
~ 和田アキ子 ~
(18) 今歌っていられることです。一番悔しかったことは、それは遠い昔に忘れちゃいました
~ 和田アキ子 ~
(19) アポロに出場が決まって、禁煙し、ボイス・トレーニングもスタートし、歌に対して、いい時にいいことをやり出したなという感じがします
~ 和田アキ子 ~
(20) 私はお酒もよく飲むし、平気で酔っぱらうし、たぶん大先輩から見ると非常に面白いキャラだったんでしょうね
~ 和田アキ子 ~
(21) オペラ歌手の発声法を採用すれば、マイクなしでシアターの隅々にまで声が届くと分かり、自分のコンサートではファンの方への感謝の気持ちを込めていつもやっていたんです。それをNHKの方が観ていて、ぜひ(紅白で)やってほしいと頼まれたんです
~ 和田アキ子 ~
(22) ものすごいパワーが必要で、10曲分くらいの力がいりますから
~ 和田アキ子 ~
(23) 8年後に、マネジャーから紅白の話が来ましたと言われ、“もうカンベンしてよ”という気持ち。“どうしたの今さら、もういいよ”と思っていたら、マネジャーに言われたんです。『アッコさん、これは断る理由はないですよ』って。その言葉がなるほどと思い気に入って、カムバックを果たしたんです
~ 和田アキ子 ~
(24) (紅白出場から)落ちた時はそれはもう大ショックでした
~ 和田アキ子 ~
(25) 私が一番新人だったのでイジメられましたね
~ 和田アキ子 ~
(26) いつも『記録に残る歌より、記憶に残る歌を歌いたい』と言ってる
~ 和田アキ子 ~
(27) ホリプロとは10代から60代まで6世代にわたって付き合っていて、これだけ長くお世話になっているタレントも珍しいのでは
~ 和田アキ子 ~
(28) 昔は辞めてやる辞めないでくれなんて押し問答もありましたが、今は『辞めてくれって言われても辞めないぞ』と言ってます。ホリプロでなければ今の“和田アキ子”はいないと思いますね
~ 和田アキ子 ~
(29) 子どもが大好きだったので、保母さん、今で言う保育士になりたかった。でも親が猛反対。『アカン、あんたはすぐ手が出るから絶対にダメ』と言われて
~ 和田アキ子 ~
(30) 『女番長』というのは東京に出てからマスコミが付けたものですけど
~ 和田アキ子 ~