渡部陽一のプロフィール
渡部陽一(わたなべよういち)
・日本の戦場カメラマン、フォトジャーナリスト、タレント。
・初代・富士市観光親善大使。所属事務所はBe.Brave Group。
・戦場取材の資金稼ぎのため、テレビに出まくった2010年を「挑戦の年でした。普段はカメラマンですが、逆に撮られる側の恐怖感にも、気づくことができました」と振り返る。
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渡部陽一の名言30選
(1) どの戦場でも共通していたことは「戦争の犠牲者はいつも子どもたち」
~ 渡部陽一 ~
(2) 泣いている子どもたちの声が一人だけでも世界の方々に届けることが出来た時、どの国であっても国際情勢と繋がることができると感じているので、カメラマンとして丁寧に世界の声を記録に残していきたい
~ 渡部陽一 ~
(3) 戦場カメラマンにも“ウォー・フォトグラファー・シンドローム(戦場カメラマン症候群)”という言葉あり、現場に入れば出会うカメラマンのメンツはほぼ同じだった
~ 渡部陽一 ~
(4) ジャーナリストは無事に生きて帰る事が前提
~ 渡部陽一 ~
(5) 安全優先で働いてます。家族第一、仕事第二
~ 渡部陽一 ~
(6) 素直に言葉で伝わらないのであれば、好きな写真を使って伝えることはできないか、カメラを手にして現場に赴き、自ら見たものを撮影して写真を持ち帰る、一枚の写真の力で状況を伝えることができるのではと考えました。そして写真の力にすべてをかけてみようと心を決めました
~ 渡部陽一 ~
(7) アルバイトで貯めたお金を持ってアフリカのザイール(現在のコンゴ民主共和国)のジャングルへ飛び込んでいきました。当時は外国を旅することも手探りの状態であり、 ましてジャングルで生きのびるための技術はありません
~ 渡部陽一 ~
(8) トラックの積荷の塩魚は奪われ、自分の荷物・カメラ機材も略奪されました。ただ運が良かったのは、こちらから現金を差し出したことで、殺されずにすんだことでした
~ 渡部陽一 ~
(9) 日本からかけ離れたアフリカの森の中で理不尽な行いが繰り返されている。恐怖と怒りに震えながら、この状況を伝えることができないか、その方法を模索することとなりました
~ 渡部陽一 ~
(10) 自分自身でピグミー族に会って話をしてみよう、この目で彼らの存在を確かめてみたい、早速気の赴くままにアフリカへ向かう準備を始めました
~ 渡部陽一 ~
(11) 塩をなめ、もやしを食らう
~ 渡部陽一 ~
(12) ボディガードはその地域最強の奴を大金で雇う
~ 渡部陽一 ~
(13) 最前線に行く時は世界最強の軍隊の自走砲部隊と行動する
~ 渡部陽一 ~
(14) 戦場が流動的なところには行かない
~ 渡部陽一 ~
(15) 護衛がいても危ない所には近づかない
~ 渡部陽一 ~
(16) ボクは…、喋るのが…とてもゆっくりなので、質問のメールは、ツイッターと同じ…140文字以内でお寄せ下さい
~ 渡部陽一 ~
(17) 世界で日本のパンが一番柔らかくておいしい。現地ではこの日本のパンは『ジャパン』と呼ばれる
~ 渡部陽一 ~
(18) サバイバルイングリッシュを使います
~ 渡部陽一 ~
(19) 危険地帯に行くときは危機管理を徹底させます。そうすることで、安全性が高まり恐怖も和らぎます。その絶対条件はガイドさん選び
~ 渡部陽一 ~
(20) 絶対にひとりぼっちでは動かないというのが鉄則です。ひとりでフラフラ歩いていると一発でやられるので、必ずその地域で暮らしているガイドさんやその関係者、家族などと一緒に動くんです
~ 渡部陽一 ~
(21) トラックの運転手が「伏せろ!」と叫んだ瞬間、少年たちが突然、銃を乱射してきました。トラックに銃弾が何発もあたり、耳元を金属音が飛び交っていく。少年たちが銃を撃ちながらこちらに向かってくることに震え上がりました。その瞬間、死の恐怖に襲われトラックから転げ落ち、そのまま失禁、赤ん坊のよう地べたを這いずりながら、トラックの後部へ無意識のうちに逃げようとしていました
~ 渡部陽一 ~
(22) 取材先の国にジャーナリストとして入り込んでいくからには相手の生活慣習やルールに従って、取材を続けていくことが良き取材結果を引き寄せる一番の方法なのかも知れません
~ 渡部陽一 ~
(23) 信頼を得るために最も大事なことは、その国の文化・習慣に敬意を払うことだと感じています
~ 渡部陽一 ~
(24) 戦地に赴くために大事なことは、できることは何でも用意しておくことだと感じています。取材の全体を見渡すと準備が80%、撮影は20%
~ 渡部陽一 ~
(25) 戦場で苦しい中、気持ちを平常心に整えていく方法は、言葉と、お話しの、よろこびなんです
~ 渡部陽一 ~
(26) 物で生活環境を変えることもできるんですけれども、ただ横に座っているだけであったり、挨拶をするだけであったり、握手をしてお互いの体温を感じあうだけでも、気持ちがはぁっとさせられる
~ 渡部陽一 ~
(27) 戦場取材から怪我をせずに帰国するために気を付けていることがあります。それは「引く勇気を持つこと」
~ 渡部陽一 ~
(28) 戦場には確かに地獄絵図があります。でも、現地でいつも思うのは、そこで生きている人々の時間に厚みがあるということ
~ 渡部陽一 ~
(29) 世界中の子どもたちの声をもっともっと、聞いていきたい
~ 渡部陽一 ~
(30) ベトナム戦争時代から百戦錬磨のジャーナリストの方々の死を目の当たりにした時。亡くなった後、その方の取材した記録やカメラやPC、さまざまな取材機器だけがどっさりと残った。先輩であり先生でもあった人が今この場にいなくて、物だけがどっさり残っている。それを見ながら、“ジャーナリストとして伝えるべきもの、これからの自分がやるべきこととは何なのか?”と非常に考えさせられました
~ 渡部陽一 ~