五木寛之のプロフィール
五木寛之(いつき ひろゆき)
・1932年9月30日生まれ、福岡県出身。
・日本の小説家・随筆家。
・作詞や仏教・浄土思想に関する著作も多い。
・小説のほか、作詞、創作ミュージカル、放送番組構成作家、などをこなし、さらにロシア語、英語も堪能なイメージもあり、大量の仕事をこなす「多作な天才肌」であることを本人は自分でも印象付けることを自覚していたようで、早いうちから作っていた「年譜」には「何文字書いたか」が記録として添えられていた。
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五木寛之の名言 30選
(1) みじめな思い出が、人生で貴重な財産となるときもある。
~五木寛之~
(2) 本居宣長は人は生きている限り悲しい目にあうと言っています。悲しいときにどうするか。悲しみから目をそらさずに悲しめと宣長は言います。悲しいと思え。そして悲しいと呟け。人にそれを語れ。歌にも歌え、と。そうすることによって自分の中の悲しみを引きはがして客体化することができるし、それを乗り越えられる。
~五木寛之~
(3) 肉体的な弱点でも、内面的なものでも、それを他人に気づかれまいと苦心するところから人間は醜くなるのです。
~五木寛之~
(4) 寂しさを誤魔化そうとかしてはならない。自分を欺いたりしないで、そのさびしさをまっすぐに見つめ、その自分の心に忠実にしたがえばよい。
~五木寛之~
(5) 「食べていけるだけ」「生きているだけ」というのは、そんなに価値のないことでしょうか。
~五木寛之~
(6) 「人間には無限の可能性がある」というような言い方には、どこか嘘があると思う。人間にはできることと、そして、できないことがある。
~五木寛之~
(7) 人生は思うにまかせねものである。好きであっても素質がない場合もあり、素質はあっても環境や運に恵まれず、好きではない世界で一生をおくらなければならないこともある。
~五木寛之~
(8) 人生の目的の第一歩は、生きること、である。
~五木寛之~
(9) 私たちは死ぬときは、ただひとりで逝く。恋人や、家族や、親友がいたとしても、一緒に死ぬわけではない。人は支えあって生きるものだが、最後は結局ひとりで死ぬのだ。
~五木寛之~
(10) 楽しいことは長続きする。好きなことは長続きする。気持ちのいいことは長続きする。そうでないことは、どんなに強制されても結局は続かない。
~五木寛之~
(11) 人間は誰でも自分がいちばん大切なのです。そして、そのことをほんとうに自覚した人間だけが、自然なかたちで他人を大切に思うことができる。
~五木寛之~
(12) 証明することができない事柄を信用しない人がいる。科学的でない、という理由からだ。しかし、私たちは科学だけで生きているわけではないし、市場原理だけで暮らしているわけでもない。
~五木寛之~
(13) 日本には世界に誇るべき思想がふたつあります。ひとつはSyncretism(シンクレティズム)、神仏混淆という考え方です。仏壇と神棚が同居していても争いにならない。一神教同士の原理主義的な宗教対立が先鋭化して世界の発展を阻害している時代だからこそ、共存思想が輝きを放つのです。もうひとつが、Animism(アニミズム)、山にも川にも、一木一草にも精霊や神が宿るという考え方です。今日の環境問題の根底には西欧的な人間中心主義があります。人間も地球の一員という発想は、アニミズムの根からしか生まれてきません。
~五木寛之~
(14) なにもやらなくてもよい、失敗した人生であってもよい、それはそれで、人間として生まれてきて、そして人間として死んでいく、そのことにおいて、まず存在に価値があるのだ。
~五木寛之~
(15) 日本という国もこれからは富まずともアジアのため、世界のために役立つような生き方をするべきではないかと思うのです。
~五木寛之~
(16) 一日に一回、どんなことがあってもよろこぶ。そう決心しました。
~五木寛之~
(17) メタボリック症候群という言葉がすっかり流行語になりましたが、あんなものに踊らされるのが一番いけない。日本は世界で最もメタボ基準が暴走した国です。本当に長生きで健康なのはちょっと小太りな人だとよく言われる。ウエスト幅の健康基準などというものを国家が決めるのはファシズムです。
~五木寛之~
(18) 科学は常に諸刃の剣である。医学や技術によって救われた命と、それによって失われた命と、はたしてどちらが多いか。私は五分五分だと感じている。
~五木寛之~
(19) もしプロという言葉があるとしたら、それは技術ではなく、自己犠牲を伴う努力なり研鑽を己の生き甲斐にできるかという、その一点にかかっているんじゃないですか。
~五木寛之~
(20) 自分を愛せる人間が他人をも愛せる。
~五木寛之~
(21) しっかりと悲しみを確認しない限り人は悲しみを引きずって生きなければならない。悲しみを声に出さないで無理をして明るい笑顔をつくろうとするから本当の鬱になるのです。見も世もあらぬと身をよじって泣きじゃくるということを大事にしなければいけない。
~五木寛之~
(22) 私自身は、さんざん苦労していろんな目に遭って生きてきたのだから、「疲れたけれど、これで休めるか」というようなホッとする気持ちで死に臨めればいいな、と考えています。
~五木寛之~
(23) 人間の値打ちというのはどこにあるのでしょうか。それは、ほかに似た人がいないということです。
~五木寛之~
(24) 憂えるのは大事なことで、心の中に何とも言えない憂いが湧きあがる。これがなければ社会は進みません。いまの若い人たちは自分探しなどと言っていますが、他に向けて憂えたり、自分について憂える熱い気持ちが欠けていると思います。
~五木寛之~
(25) 天才的な素質をもちながら、世の出ず無名のままに埋もれた人は、いくらでもいる。
~五木寛之~
(26) 人生に目的はあるのか。私は、ないと思う。あらかじめ決められる法律のような人生の目的というものを、私は想像することができない。
~五木寛之~
(27) 人間はまだ立ち上がれると余力と気力があるときに励まされると、再び強く立ち上げることができます。ところが、もう立ち上がれない、自分はもうだめだと覚悟してしまった人間には、励ましの言葉など上滑りしてゆくだけです。
~五木寛之~
(28) どれほど努力しても失敗ばかりする時期もある。
~五木寛之~
(29) 仏教には「中道」という考え方があります。これは相対立する二つのどちらか一方だけに偏らない、しかしいつも真ん中にいればいいというわけではない。両方を大事にせよということです。
~五木寛之~
(30) 人間の値打ちというものは、生きている-この世に生れて、とにかく生きつづけ、今日まで生きている。そのことにまずあるのであって、生きている人間が何事を成し遂げてきたか、という人生の収支決算は、それはそれで、二番目ぐらいに考えていいのではないだろうか。
~五木寛之~