糸井重里の名言・格言30選|心に響く言葉

糸井重里のプロフィール

糸井重里(いとい しげさと)
・1948年11月10日生まれ、群馬県前橋市出身。
・日本のコピーライター、エッセイスト、タレント、作詞家。
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糸井重里の名言・格言 30選

(1) ほしいものが、ほしいわ。

~糸井重里~

(2) 目上とか目下ということばにとらわれずに、あらゆる人のことを「ばかにしちゃだめだ」と、根っから思っている人のすることは、いい感じです。逆に、「敬意」の対象を限定していて、多くの人を「こんなやつ」と思っている人のすることは、いやな感じというふうに思えるのではないでしょうか。

~糸井重里~

(3) 少しずつ手がかりをつかんでいって、わけのわからないところへ行きたい。

~糸井重里~

(4) なにかが大きく変わるときというのは、うれしくないことをも含めて進むものだ。

~糸井重里~

(5) 三度三度のめしを、よく噛んで、おいしく食べて。決まった時間に気分よくうんこして、たのしみのひとつとしてお風呂にゆっくりつかって、よく寝て、すっきり起きて、いつもおだやかに笑顔でいるような人に、だれも勝てるとは思わないほうがいい。

~糸井重里~

(6)(岡本)太郎さんは、明るいかんじがしますけど、明るくしたんですね、自分で。発電したんだよね。

~糸井重里~

(7) 僕はね、岡本太郎のいちばんのアートは、敏子さんに好かれることだったんじゃないかって思うんです。

~糸井重里~

(8)「コツ」っていうのは、「使いこなした道具」みたいなものだから、ことばで、その「コツ」をおぼえても、それでうまくいくというものではないんだよね。まだ練習をはじめてもいないときから、「コツ」を知ろうと思っても、なーんの意味もないし、それは、ほんとうに「ものにしよう」というときには、かえって「じゃま」になるような余計な知識なんだ。

~糸井重里~

(9) ムダな時間を味わうためには、方法なんかないんだよね。ただ、利口でない日々を送るのが勉強なのさ。

~糸井重里~

(10) 自分の幸せとは何かっていうようなことは、言葉で言えないかもしれないけれども、それを持っていないと本当に命がけの仲間を作れないんですね。

~糸井重里~

(11) 新しいなにかが生まれるのは、場所なんかもらえなかった者たちが、苦しまぎれに、「これしかない」とやったことからだ。道具がなければ、じぶんでつくる。人手が足りなければ、寝ないでもがんばる。そういう古臭い冒険心みたいなものが、肝心なのだ。

~糸井重里~

(12) そういうふうにできている。

~糸井重里~

(13) いろんなことをして遊ぼうと思うときに、「あいつは呼びたい」と思うやつは、いつもいる。そういうやつの価値には、名前がつかない。そういうやつのいいところには、順位なんかつけられない。

~糸井重里~

(14)「一度やってみたいと思ってる」ことを、本気でやろうとしている人は、昨日も今日も、そのためのなにかをやっているんです。いや、身も蓋もない言い方ですが、ホームランでもナンパでも、実際にやってる人間は、本気なんですよね。そして、夢のように夢を語るだいたいの人は、本気じゃなくて、いつか忘れちゃうんです。ホームランを打てないかもしれないことに、挫折もしないだろうし、敗けを認める必要もない。うまくいかなくて謝ったりするようなこともない。だって、本気じゃないんだから、忘れるだけなんです。

~糸井重里~

(15) それが どうした。中流の中だの、中流の下だの、そんなこた どうでもいい。立ってるのが、いい。輝いてるのがいい。汚くないのがいい。しなびてないのがいい。他人の評判がどうだの、腹の減り具合がどうだの、気にしていたらきりがない。どうだ。どうだ。さあ、みんなの正月だ。

~糸井重里~

(16) 俺はこれ自慢することにしてるんだけど、「糸井はもうダメ」って3、4回言われて生きてるんです。

~糸井重里~

(17) 誰だって飽きるのである、と。しかし、飽きてないふりをすることで続けられるのだ。飽きるからやめてしまうのは、アマチュアで、飽きても飽きてないふりをしているうちに続くのがプロ。

~糸井重里~

(18) 人がなに言おうが、「俺はすごい」って言えるものは、ナイショでもってるわけですよ。

~糸井重里~

(19) 俯瞰しているばかりで、手も足も動かないのは困る。でも、アリの視点で動いているばかりじゃ、なにをしているのかわからなくなっちゃうんですよね。そういうことに、休んでパソコンから離れて気づく。こりゃぁ、いいことだなぁと思ったんです。じぶんでも、よく思うことなのですが、しっかり休むと、視界がクリアになりますし、呼吸が大きく深くなるような気がしますものねー。

~糸井重里~

(20)「どうやって、食っていく?」そこからしかはじまらないような気がする。

~糸井重里~

(21) 考えることは考えるのですが、やっぱり考えが足りない。どこかに「シロウト」なところがあるからこそ、最初の一歩を踏み出せるのだと思います。「無謀」と言っては言い過ぎだけど、「冒険」というくらいの「賭けの要素」がないと、やっぱり、なにもはじめられないんですよね。

~糸井重里~

(22) 最初、いやいややっていたことでも、なにかの拍子に「好き」になると、もっとやりたくなっちゃうんですよね。なんなんでしょうね、「好き」ってねぇ。

~糸井重里~

(23) 20代30代の頃は『金がすべて』この頃に『金がすべてじゃない』なんて言うのは嘘つき。でも50になった時に『金がすべて』と思っているような人生にはしたくない。

~糸井重里~

(24) 最初から、これは向いてるなんてこと、なかなかないんですよね。やってるうちに、だんだんとね、「うまくできる」ことにおもしろさを感じてきて、もっと「うまくできる」んじゃないかと、苦労とか努力を、苦労や努力と思わなくなって、知らず知らずのうちに他人よりよく練習してたりして、「うまくできる」の質が高くなっていく。そんな感じで、技術だとか、構想だとか、方法だとか、表現だとかが磨かれていくのだと思うのです。

~糸井重里~

(25) なんだか忙しいし、忙しいのはいやだなぁと思ってる。でも、ぼくよりもっとずっと忙しいのに、涼しい顔して世のため人のために働いてる人もいて、ああおれなんかが忙しいとか文句言ってちゃいけないなと思っているよ‥‥

~糸井重里~

(26) 常に自分が出来ることより少し難しいことをやって、常にしんどいと思っていないと、出来ることしかやらない屑人間になってしまう。

~糸井重里~

(27)「このごろの若いものは、だらしがない」とか、「昔はよかった」というような発言は、太古の昔からずっと続いてるらしいのですが、それでも、かつて若かったものが、年をとると言い出すようになるものらしいです。同じように、若いものが、「おとなは信じられねぇ」と言うのも、おそらくずっとくり返されてきたことで、ぼくも、ある時期まで、そう言ってたように思います。どちらの発言も、「じぶん」が固定しているんですよね。「じぶん」は、絶対に「あっち」にはいない。そういう確信があるから言えるセリフなわけです。

~糸井重里~

(28) 真に、おもしろくなったりするのは、「もうやめようかな」と泣いたりしてからのことです。それでもやめずに毎日続けているうちに、おもしろいかどうかさえも、どうでもよくなります。

~糸井重里~

(29) 僕はただ、「こうしたら人が喜ぶんじゃないか」「こうしたら自分が気持ちいいんじゃないか」と思うことを中心にやってきたんです。

~糸井重里~

(30) 文章とは何よりも内容を『伝えること』が最優先なわけですがから、文章力を磨くことなんかよりも、まず相手の目をしっかり見て、話せるように練習するのが先決でしょう。

~糸井重里~