西田敏行の名言30選|心に響く言葉

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西田敏行のプロフィール

西田敏行(にしだ としゆき)
・1947年11月4日生まれ,福島県郡山市出身。
・日本の俳優、歌手、タレント、司会者。
・勲等は旭日小綬章。
・株式会社オフィスコバック所属、協同組合日本俳優連合理事長、日本アカデミー賞組織委員会副会長。
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西田敏行の名言 30選

(1) 玉山くんは、本当に今回、青年の孤独感をすごくきっちり演じてくれたなって感謝しています。原作にはいなかった(川島)海荷ちゃん演じる、有希という明日への希望のような存在の女の子と旅をしながら、変化していく様子をきちんと表現している姿にすごく好感を持ちました。

~西田敏行~

(2) 時系列では僕が訪れた場所を玉山くんがたどるわけなんですが、撮影場所は同じなので、僕がオフのときは玉山くんたちが撮影して、玉山くんたちがオフのときは僕らが撮影していました。でも、夜は一緒だったもんね。一緒にご飯食べたよね!

~西田敏行~

(3) 一生懸命に生きているのに、報われない。でも、本当に報われなかったかといったらそうじゃない。愛は必ず返ってくるということを、役を通して静かに伝えたいと思いました。

~西田敏行~

(4) 劇映画としても、コンサートとしても楽しめる。2倍楽しめるんだね。

~西田敏行~

(5) 落ち武者の格好って夏だとキツイし暑いんですけど、全然苦じゃなかったです。

~西田敏行~

(6) 「上杉謙信と同い年です!」というセリフだけで、ワクワクしました。謙信と友人だったなら、「謙ちゃん!六ちゃん!」って呼び合っていたのかな?とか、想像するだけで楽しい。

~西田敏行~

(7) 六兵衛は、とにかく楽しい役でしたね。フィクションの役はどんなうそでもつけるから、イメージを膨らますことができるんです。

~西田敏行~

(8) 僕は、三谷さんの世界観が大好きなんです。現場にいるだけで、いろんな楽しいアトラクションがあるテーマパークを、グルグル回っている少年のような気持ちになるんですよ。役者としての魂を躍らせてくれる監督なので、今回もすごく楽しみでした。

~西田敏行~

(9) 「車は左、人は右。それで本当に良いのか」と先生は尋ねました。「心臓は左にある。心臓が車に近くならないよう、左を歩いた方が安全だ」と言うのです。私は「人は右」というルールにそれまで何の疑問も持ちませんでした。難しい言葉で言えば、既成概念を打破することに未来があるのではありませんか。

~西田敏行~

(10) 本当の仮安置所では破傷風の危険もあるので裸足はダメらしいのですが、演技とはいえ遺体の枕元を土足でずかずか歩いて良いのかと思い、靴を脱いで裸足になりました。

~西田敏行~

(11) まずは、子どもと同じ夢を持ってみてください。子どもは夢に向かって歩き出すわけだから、親も親なりの努力をしなければいけない。そのときには、子どもと同じ立場で肩を組んで歩くんじゃなくて、親は一歩下がって、子どもの行く末を見てやるということが大事ではないか。

~西田敏行~

(12) 子どもが夢を持って語るとき、大人は『自分の子どもがとんでもないことを言っている』と思うだろう。それで良い。でも、そのときには、きちんと子どもの目を見て話してほしい。メールや手紙で話すのではだめ。子どもの目がきらきらしていて、親の勘で『やれるかもしれない』と思える目だと感じたら、受け止めてあげてください。100個考えて無理だと思っても、101個目に何かあるかもしれないと思ってください。

~西田敏行~

(13) 生活するために、飯を食うために何とかする―というのではなくて、『そんなことしたら生活はできないよ』と言われるぐらいの大きな夢を持っていい。ぼくは、お金は後からついてくると言ってあげたい。何を言われても夢を捨てないことだ。

~西田敏行~

(14) 何事でも最初に持っていた熱い思いを忘れずに、きちんと自分の中で実現していくことが大事だ。

~西田敏行~

(15) 自分の道と同じ道を歩んできた先輩の後ろ姿を見つめつつ、その轍(わだち)というか、トレースを自分の中でも追っ掛けられるように、同じ歩幅で歩いてみる。

~西田敏行~

(16) 負けそうになったり、折れそうになったりしたときは、先輩のすごい舞台や映画を見たりすることで『あっちにいけば間違いない』という思いを強くした。

~西田敏行~

(17) 演劇にふさわしい才能があるのかと、いつも自問自答していた。

~西田敏行~

(18) 歌は私にとって前面に出るものではなく、演劇というカテゴリーの中の表現の一つだ。

~西田敏行~

(19) 役者という仕事を生業(なりわい)としている以上、自分のいろいろな表現をみんなに見てもらい、感じてもらうことがぼくの唯一できる最大限の応援、支援だと思っている。

~西田敏行~

(20) 『釣りバカ日誌』などでお世話になった県内のロケ地の自然は本当に美しく、その自然が原発事故に遭ったことは罪が重いぞ―という気持ちがあった。

~西田敏行~

(21) 意思の疎通は問題なかったです。奈良橋陽子さんという方が通訳になってくれたんですが、彼女とはテレビドラマ「西遊記」で僕が猪八戒を演じたころからの付き合いなんです。ブリタニーと話し始めると、陽子さんが来てくれて、何となしに通訳になってくれたんですよ。

~西田敏行~

(22) 映画の『釣りバカ日誌』が終わってしばらくして、近所の居酒屋とかに行くとね。おやっさんが、ちょんと僕の肩をたたいて、『もう、釣りバカやらないの?』と、しょっちゅう言ってきてね。タクシーに乗っても、(運転手から)『釣りバカやらないんですか?』って言われるんだよ。

~西田敏行~

(23) ハマちゃんとは22年間一緒に暮らしていて本当に楽しかったです。ハマちゃんを演じている間は、倒れたり病気になったりすることがなかったということを、僕の中で一つの誇りにしています。

~西田敏行~

(24) 鈴木建設取締役社長、鈴木一之助に“昇進”致しました。どうぞよろしくお願い致します。22年の間、浜崎伝助を生きて参りましたけれど、今年から鈴木一之助を生き抜いてみたいと考えています。いろいろな考えを持っての作品への参加でしたけれど、素晴らしい若い才能たちに囲まれて、幸せな仕事をさせていただいています。

~西田敏行~

(25) 僕の中では、映画が終わった時点で全部サヨナラしたつもりだったんですが…。5年間ずっと言われ続けると、何となくやってもいいのかな、という気持ちになってきまして。

~西田敏行~

(26) 三國さんは経営者としての風格を大事にしていて、普段の衣装もファッショナブル。それが、(釣りで)Tシャツを着るとかわいくなるんですが、風格があった。僕はそのへん、ちょっと庶民的というか、ダウンしています。『俺は土建屋だぞ!たたき上げだぞ!』という、現場の空気を出したいと思います。

~西田敏行~

(27) 私も三國さんの後をやるのは緊張します。いっしょに新しいものを作りましょうね。

~西田敏行~

(28) みなさんがイメージする、典型的なラーメン屋のオヤジを演じさせていただきました。

~西田敏行~

(29) 芝居とはいえ、だんだんかわいそうになってきちゃったんですけど、心を鬼にして演じました。撮影じゃないときにお互い「こいつはいいやつだ」というのがわかっていて、信頼関係ができていたので大丈夫でしたね。

~西田敏行~

(30) その口説き文句に即答でしたね。

~西田敏行~

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