杉良太郎の名言30選|心に響く言葉

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杉良太郎のプロフィール

杉良太郎(すぎ りょうたろう)
・1944年8月14日生まれ,兵庫県神戸市出身。
・日本の俳優、歌手、元財団法人日本・ベトナム文化友好協会理事長。
・法務省特別矯正監、外務省日本ベトナム特別大使、ベトナム社会主義共和国ベトナム日本特別大使、厚生労働省肝炎総合対策推進国民運動特別参与、ハワイ州ホノルル市名誉市長、シンガポール日本文化協会名誉会長、麻薬追放協会会長などの肩書を持つ。
・特技は合気道、段位は養神館合気道5段。栄典・表彰歴としては緑綬褒章受章、紫綬褒章受章、平成28年度文化功労者など。
Wikipedia

杉良太郎の名言 30選

(1) 地道にずっと続けてきましたが、東日本大震災の後、宮城に炊き出しに行ったら、突然えらく持ち上げられて、本音を言えば面食らいました。ほんとに名前も売りたくないし、いい格好もしたくないですから。

~杉良太郎~

(2) 中傷ばかりがつきまとうと、やっぱりつらいし傷つくんです。だからボランティアをやっていることを隠していた時期が30年くらいあります。

~杉良太郎~

(3) 僕、若いころから有名でしたしね。一生懸命他人に尽くしている行為を、売名と切り捨てる人のことは、腹の底では、「寂しい人間だなあ」と思っている。

~杉良太郎~

(4) 昔から「売名」って言われてきた。最近は面倒くさいから、そういう人には「はい、売名です」って言うんです。僕が今までやってきたこと、あなたもぜひやってみてくださいと思う。

~杉良太郎~

(5) 明日はわが身、不言実行である。

~杉良太郎~

(6) ボランティアをやったことがなく、理屈を並べ、批判ばかりをし、善意の行為を理解できないような人格の者が、政府高官という大事な立場にいて、国の仕事を任せられるのか、と感じた瞬間だった。

~杉良太郎~

(7) 私が今までやってきたことを、あなたも全てやってください。それからもう一度、今と同じ質問をしていただけますか。

~杉良太郎~

(8) 頼まれてもいないのに、自分で「こうなったらいいな」とか「こうすれば相手が喜ぶんじゃないか」と勝手に夢見てしまう。

~杉良太郎~

(9) 「妄想」というと、ネガティブな印象があります。しかしここで言うのは、社会をすこしでも良くしたいという夢の延長に生じるようなものです。私は子どもの頃から夢見がち、「夢見る夢男くん」てした。こんな性分が長じて、妄想癖となったのでしょうか。

~杉良太郎~

(10) 「人には親切、慈悲、情け」が口癖で、貧しい人を見かけたら何かをあげずには通りすぎることができなかった母親の影響なのでしょうか。しかし、それだけでは、いままでやってきたことすべてを説明し切れない。もうこれは生まれつきとしか言いようがない。

~杉良太郎~

(11) 常識では考えられないかもしれない。人はたいてい同じ質問をします。「あななの頭はどうなっているの?」「杉さんをそこまで突き動かす原動力って何ですか?」「これだ」とはっきり答えることのできない問いです。私にも本当のところ、なぜだかわからないのです。いつも気づいたら、行動している。

~杉良太郎~

(12) 最近、新たに取り組みはじめたのが、刑務官の官舎の問題です。公務員宿舎は廃墟同然の劣悪な環境のところが多く、「それでも辛抱しろ」という昔ふうの考え方が根強い。施設によっては刑務所のほうが綺麗と思ってしまうところさえあるほどてす。これを新たに建て直すか、それとも改築するかを検討し、予算を確保するために奮闘しています。

~杉良太郎~

(13) お金では決して買うことのてきない大切なものを、私は福祉活動で出会った人々に与えてもらったのです。

~杉良太郎~

(14) ボランティア、福祉は一方通行。私はそう思って、いままで活動を続けてきました。ただ、さまざまな活動を通じ、結果としてかけがえのないものを得たのです。それは「真実」に出会えたということ。

~杉良太郎~

(15) そしてまた次の世代が育っていく。命がつながれていく。世の中はその繰り返しなのだと思います。

~杉良太郎~

(16) 私は、いまやお金や財産への執着がどんどんなくなってきた。肩書きも同様です。ここまで記したとおり、「日本・ASEAN特別大使」から「法務省特別矯正監」まで、いまの私にはたくさんの肩書きがありますが、それも一つずつ外していきたい。「杉良太郎」のまま、身一つで幕を引きたい。そう思っています。

~杉良太郎~

(17) 良いことも、悪いことも、みんな熟して落ちる。熟して落ちるまでに評価はされたとしても、落ちるものは落ちてしまう。

~杉良太郎~

(18) 人というのは、一〇〇%強くなれない。また、強い者が生き残るものでもない。結局は変化する者が生き残っているんだ、と。

~杉良太郎~

(19) 本当の金持ちというのは、生きている間にいくら使ったかで決まる。それも、誰のために使ったかが重要です。

~杉良太郎~

(20) 自然体だけれども、生易しいものではない。芸能界に入って悩んだことはないけれど、ボランティアでは2回も3回も死にたくなったことがある。

~杉良太郎~

(21) (ボランティアの動機には)目的も理由もありません。取材にはよく「自然体でやっています」って答えています。

~杉良太郎~

(22) 振り返ってみれば、人から頼まれて行動を起こすということはなかった。「ぜひベトナムに来てください」と言われたこともない。そもそもベトナムのことは知らない。ベトナムの方たちとの付き合いすらなかった。

~杉良太郎~

(23) ありとあらゆる機関で視察や講演を行い、震災など自然災害が起きるたびに現地に飛んで行きます。

~杉良太郎~

(24) 一人ひとり、信頼できる日本人ができることで、日本人全体のイメージもほんのすこしかもしれないけれど良くなるはずです。ひいては、日本との友好関係につながっていくに違いない。そう信じて、私は民間外交・文化交流に徹してきたのです。

~杉良太郎~

(25) 「真実」の拍手、「真実」の笑顔、「真実」の涙。嘘や建前の多い世の中にあって、「真実」を私に教えてくれたのは施設の人たちでした。

~杉良太郎~

(26) (15歳の)私が歌を披露すると、両手を合わせて私のことを拝み、涙を流して「ありがとう」を繰り返したのです。そのときは深い考えがあって養老院を訪れたわけではありません。「行ってみようか」ぐらいの軽い気持ちでした。

~杉良太郎~

(27) 自然のなかで、遊びながら子どもたちを教育する。そこから得られるものは、成長したあとかならずプラスに働くはずです。動物や植物すべてに命があるということ。そしてその命かどう生きていくかということ。自ら生きていくうえで大切なことに気づくはずです。

~杉良太郎~

(28) 彼(長男の純大氏のこと)に、私は節目で大事な経験をさせてあげたいと思っていました。一つは、自然とふれ合うこと。

~杉良太郎~

(29) 私はなおも生き方のスタイルを変えられないようてす。もしかしたらいまも彷徨いながら歩く道の途中にいるのかもしれません。

~杉良太郎~

(30) 誰にだって欲がある。しかし、欲を抱けばきりがない。私は欲の蟻地獄へは嵌りたくないと思って生きてきました。私が大事にしてきたのは、人の思い。

~杉良太郎~

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