これを読んでいるあなたは、今も学校に通っているか、すでに学校を卒業されていることと思います。学校は、あなたにとってどんな場所でしたか?
世の偉人たちの多くにとって、学校は意外にも居心地の良い場所ではなかったようです。彼らのことばには苦い思い出がにじみ出ています。学校で優等生であることは、必ずしも成功するための条件ではないといえるのかもしれません。ただ、学校は、知識を得るための動機や手段を獲得するための場所であり、良きにつけ悪しきにつけ、そこを通過することで自分を新たに形づくることができる場所でもあります。
自分で考えることができる力を身につけることが最も大事であって、その点学校はそれ自体が目的ではなく、あくまでも自分で考えることができるようにするための手段であるといえそうです。学校へのさまざまな思いを込めた名言に触れて、あなたも学校について改めて考えてみませんか? それでは、どうぞ。
学校にまつわる名言 30選
(1) 学校や大学で教わることは、学問そのものではなく、学問への手段である。
(2) 代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。
(3)『教育とは学校で習つたことを悉(ことごと)く忘れた、その後に残つてゐるものをいふのだ』これは実に穿(うが)つた言葉である。
(4) 私には3つの財産がある。それは学校へ行かなかったこと。健康に優れなかったこと。そして、決断に弱かったことだ。だから、人が教えてくれたり、助けてくれたりして成功した。
(5) 若者は、自分を人と違ったものにする個性の種を一つでも探し出して、全力を尽くして育て上げることだ。社会と学校はこの種を奪い、誰も彼もひとまとめに同じ鋳型に押し込めようとするだろう。だが、この種を失ってはいけない。それは自分の価値を主張するための、ただ一つの権利だから。
(6) 先生の教えたこと、学校の規則に抵抗感なく適応する子だけが、成績がいいという評価を受けてしまう。
(7) 理不尽な上司や学校の先生に無理矢理認めてもらう必要はない。市場価値の高い人になればいい。より大きな共同体で考えればいいのだ。
(8) 学校は地獄であった。そのために、私は社会生活を嫌悪し、独りぼっちで物を考える癖が、ますます嵩(こう)じて行った。
(9)(他校へ転校する際に新潟中学校の机の蓋の裏側に彫った言葉)余は偉大なる落伍者となっていつの日か歴史の中によみがえるであろう。
(10) 子供にはしっかりとした基準を与えなくてはなりません、つまり子供部屋とか玩具とか学校とか一緒に暮らす人とか遊び友だちとかを。
~フランソワーズ・サガン~
(11) 人間として生まれると、他の動物にはない誇りが心に生じるのだと思います。学校の成績より、他者の苦しみを思いやれる想像力のある人間こそ素晴らしいのです。
(12) 一家は習慣の学校なり。父母は習慣の教師なり。
(13) 裁判所、監獄、病院、精神病院、労働医学、大学、マスコミ・情報機関、これらすべての制度を通して、また様々に違った外見を採って、抑圧が行使される、そしてその抑圧の起源には政治的抑圧がある。
~ミシェル・フーコー~
(14) 学校というものを離れて職業にありつくと、その職業を成し遂げてしまおうとする。その先には生活があるとおもうのである。そして、その先には生活はないのである。
(15) 人間が学校というフェンスを出ると、そこはドラゴンワールド(現実の悪意に充ちた世界)なわけだ。
(16) 人生は学校ではない。学校は知りたいことを知るために行くところだ。人生は、すでに知っていることを体験する機会だ。
~ニール・ドナルド・ウォルシュ~
(17) われわれは『言われる』ことにもっと馴れなければならない。『言われた』こと自体にではなく『言われた』内容に向けて反論することを学ばねばならない。しかし、このことこそ、教育現場では小学校以来まったく教えられていないことなのである。
~中島義道~
(18) 学校は歴史を通して常に、支配と強制という体系のなかで、自力でものを考える人間を作り上げるどころか、それとは逆の制度的役割を果たしてきました。そしていったんうまく教育されれば、権力側を支援するやり方で社会化されてしまったことになり、権力側はそのお返しに莫大な報酬で報いることになります。
~ノーム・チョムスキー~
(19) 先の戦争で、大学生だった私は軍需工場へ動員されました。その時の辛さ、悲しさが私の作家としての原点でもあります。
~山崎豊子~
(20) 子供をめぐる状況というのは、学校と家庭と友人、この3つに平等に培われる。子供をめぐる問題の中で、学校の責任だとか、子供の家庭の責任だとか、友達が悪いとか、それぞれ言い分を言っておりますが、これは平等に責任があると思う。
(21) 誰でも素晴らしい人になれる、なぜならば誰にでもその役割を担えるのだから。そのために大学の学位は必要ない。主語と動詞の一致も必要ない。必要なのは品格に満ちた心と、愛によって生まれた魂のみである。
(22) 大事業家になる条件は4つある。貧困に育つこと。または貧困を経験すること。大学を卒業しないこと。機械的に仕事をこなすだけの人間にならないこと。
(23) 恋人に逢いにゆく嬉しさは、勉強をやめるときの子供の嬉しさと同じだが、別れるときの悲しさは、仕方なく学校へとぼとぼと行く子供の悲しさと同じだ。
(24) 学校は長くいればいるほど、自分で意志決定を行う機会が少なくなる。
(25) 自分というものに学校というものは一切存在理由がなかった。自分にとって、図書館と古本屋さえあれば、それで十分であった。
(26) 大学における一般教養の価値は、多くの事実を学ぶことではなく、教科書から学べないものについて考えるよう頭を鍛えることにあります。
(27) 教師の側から知識を授けるよりも、まず知識をもとめる動機を子どもたちがもつような学校が、真の学校である。
~ジョン・デューイ~
(28) 撮影していないときの私が何をしているのか、誰も想像できなかったわ。試写会やプレミアにも、パーティにも、私が顔を出さなかったから。答えは簡単。私は学校に通っていた。高校を卒業しなかったから、UCLAの夜間クラスを聴講しはじめたの。
(29) ウエストポイント陸軍士官学校に行きたかった。英雄として死にたいと思ったが、それはかなわなかった。
(30)(あなたは一体どうして、史上最高の発明家になれたのですか?)それは私が学校に行かなかったからです。