江戸川乱歩の名言20選|心に響く言葉

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江戸川乱歩のプロフィール

江戸川乱歩(えどがわ らんぽ)
・1894年10月21日に生まれ、1965年に亡くなる。
・大正から昭和期にかけて主に推理小説を得意とした小説家・推理作家である。
・戦後は推理小説専門の評論家としても健筆を揮った。
・実際に探偵として、岩井三郎探偵事務所(ミリオン資料サービス)に勤務していた経歴を持つ。
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江戸川乱歩の名言 20選

(1) 昼は夢 夜ぞうつつ。

~江戸川乱歩~

(2) 孤独に徹する勇気もなく、犯罪者にもなれず、自殺するほどの強い情熱もなく、結局偽善的に世間と交わって行くほかはなかった。

~江戸川乱歩~

(3) たとえ、どんなすばらしいものにでも二度とこの世に生れ替って来るのはごめんです。

~江戸川乱歩~

(4) 現世(うつしよ)は夢 夜の夢こそまこと。

~江戸川乱歩~

(5) 結局、妥協したのである。もともと生きるとは妥協することである。

~江戸川乱歩~

(6) 学校は地獄であった。そのために、私は社会生活を嫌悪し、独りぼっちで物を考える癖が、ますます嵩じて行った。

~江戸川乱歩~

(7) 郷田三郎さん…君は正気を保たなくてはいけませんよ 犯罪と云う怪物を相手にする時は自らが怪物と化さぬよ 気をつけねばならない 闇を覗こうとする時 闇もまた君を見ていると云う事を心に留めておきたまえ。

~江戸川乱歩~

(8) 探偵小説界に一人の芭蕉出でよ。

~江戸川乱歩~

(9) 男というものは、少々陰険に見えても、根性はあくまでもお人よしにできているものだ。そして、女というものは、表面何も知らないねんねえのようであっても、心の底には生まれつきの陰険が巣くっているものだ。

~江戸川乱歩~

(10) 恋愛ばかりでなく、すべての物の考え方が誰とも一致しなかった。

~江戸川乱歩~

(11) 病床ほど孤独の楽しみを教えるものはない。氷嚢、体温計、苦いけれど甘い水薬、熱病の夢、即興詩、石盤石筆と、紙と筆と、そして絵と、絵文字と、この豊富な魅力が彼を病床に、引いては病気そのものに惹きつけた。強いて病気になろうとする気持さえ芽生えてきた。

~江戸川乱歩~

(12) 中学一年生のころだったと思う。憂鬱症みたいな病気に罹って、二階の一間にとじこもっていた。暗い中で天体のことなどを考えていた。

~江戸川乱歩~

(13) 会話を好まず、独りで物を考える、よくいえば思索癖、悪くいえば妄想癖が、幼年時代からあり、大人になっても、それがなおらなかった。

~江戸川乱歩~

(14) 「なぜ神は人間を作ったか」というレジスタンスの方が、戦争や平和や左翼よりも百倍も根本的で、百倍も強烈だ。

~江戸川乱歩~

(15) 二、三歳のころは、ひどくおしゃべりで、物真似などが上手だったそうだが、物心つくにしたがって、あまりしゃべらなくなり、独りで何か空想して、夕方など町を歩きながら、声に出してその空想を独白するくせがあった。

~江戸川乱歩~

(16) 推理の興味を充分満足させながら、リアルな小説を書くということです。それが理想です。長編の『点と線』などは、その理想に近づいている。ぼくがあなた(松本清張)の出現を画期的といったのはその意味ですよ。

~江戸川乱歩~

(17) 戦前の人嫌いが、戦後人好きになり、いろいろな会合に進んで出るようになったのは、一つは隣組や町会で人に慣れたのと、もう一つは戦争中多少酒が飲めるようになったせいである。

~江戸川乱歩~

(18) それまで書いた部分を読み返して見ると、われながら少しも面白く感じられないので、私の癖の熱病のような劣等感におそわれ、どうしても書きつづけられなくなってしまったのである。

~江戸川乱歩~

(19) 四度目(の休筆)は戦時の情報局の方針で探偵小説が書けなくなり、終戦後も十年近く書かなかった。

~江戸川乱歩~

(20) 自分ではつまらないと思っても、編集者がやいのやいのといってくれるあいだ、原稿稼ぎをしてやろう。売文業を大いにやろうと考えるに至ったのである。

~江戸川乱歩~

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