一休宗純(一休さん)の情報
一休宗純(いっきゅうそうじゅん)
・室町時代の臨済宗大徳寺派の僧、詩人。
・出生地は京都で、出自は後小松天皇の落胤と伝えられている。
・母親の出自は不詳だが、皇胤説に沿えば後小松天皇の官女で、その父親は楠木正成の孫と称する楠木正澄と伝えられ、三ツ島(現・大阪府門真市)に隠れ住んでいたという伝承があり、三ツ島に母親のものと言われる墓が現存する。
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一休宗純の(一休さん)名言30選
(1) 夫れ人間あり様 万事とどまる事なし もとより生のはじめを知らざれば 死の終をわきまへず
~一休宗純~
(2) 女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む
~一休宗純~
(3) 有露地より無露地へかえる一休み 風吹けば吹け 雨降らば降れ
~一休宗純~
(4) 借り置きし 五つのものを 四つ返し 本来空(くう)に 今ぞもとづく
~一休宗純~
(5) 花は桜木、人は武士、柱は桧、魚は鯛、小袖 はもみじ、花はみよしの
~一休宗純~
(6) もし私の性欲を昇華して雅やかな歌にかえられるなら、その価値ははかり知れぬほどの黄金に匹敵するはず
~一休宗純~
(7) 美人の陰部は水仙の香りがする。楚々とした腰に口づけしよう。もっと抱きしめて愛したい
~一休宗純~
(8) 日々なすべき正しいことは、弓を引いて「心中の賊」を射落とすこと。今の世は仏と魔物が混ざり合っている
~一休宗純~
(9) 経文に気をとらわれてこだわりすぎると、有害なものになる。私も経にとらわれてしまって、犬や猫にも及ばない。犬でさえ仏殿に向かって、何の迷いもなく小便を引っ掛けるのに
~一休宗純~
(10) 私は元々道に迷う凡夫であって、愚かな迷いが深いので迷っていることすら気づかない。しかし、悟りに至らなくても、もし道を求める心さえあるならば、自然に成仏することだろう
~一休宗純~
(11) 世の中に我れぞ悟ると自慢して 名利求むる人の多さよ
~一休宗純~
(12) わざわいというものは、元々福の裏返しにすぎず、福と禍は一筋の縄に過ぎないと信じる
~一休宗純~
(13) 釈迦は、生まれつき偉い人のように思いがちだが、元々我々と同じような人間であった。しかし釈迦は6年間苦しみながら修行をし仏となった。そこが我々と違うのだ
~一休宗純~
(14) 私が詩づくりに励むのは自分への執着が強く、自分を偉そうに見せようとする煩悩があるからだ。注意しなければいけない
~一休宗純~
(15) むさぼりと怒り・恨みの煩悩の根本は、言ってもしょうがないことを言って嘆くことにある
~一休宗純~
(16) 世の中は起きて稼いで寝て食って、後は死ぬを待つばかりなり
~一休宗純~
(17) 南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ
~一休宗純~
(18) 今日は大燈国師の命日の前日で本堂ではたくさんの坊主たちが、禅商売用の香を焚き、経を読んでいる。その声がうるさく邪魔になってしょうがない。私はちょうど美人との情事を終えたあとで、こっちの方が私には大事だと話していたところだ
~一休宗純~
(19) 私の怒りや恨みや欲情も、出家する20年前と同じく今でもなくならない。汚れた俗世間から超越し一切の煩悩を断ち切ったはずなのだが、美人を見れば胸が高鳴ってどうしようもない
~一休宗純~
(20) つまらぬ争いの根本は、永遠の過去から引き継いだ人間の愚かさ、つまり自分に執着する心情なのだ。それをいつまでも担いで歩けば重かろうに。蝶のあの軽々とした姿に比べて何と愚かなことか
~一休宗純~
(21) 世の中の生死の道に連れはなし。ただ寂しくも独死独来
~一休宗純~
(22) 我はこれ何者ぞ、何者ぞと、頭頂より尻まで探るべし。探るとも探られぬところは我なり
~一休宗純~
(23) 彼の一仏は、水の器物に従うがごとし。陰陽寒熱の因によりて、種々変ずるがごとし
~一休宗純~
(24) 大空の月、もろもろの水に宿りたまうといえども、濁れる水には宿りたまわず、澄める水のみ宿りたまうがごとし
~一休宗純~
(25) 今日ほめて明日わるく言う人の口。泣くも笑うも嘘の世の中
~一休宗純~
(26) 人間の有り様は、万事が止まることがない。生の始りを知らないと、死の終りを弁えない。やみやみ茫々として、苦しみの海に沈んでいく
~一休宗純~
(27) この世にて慈悲も悪事もせぬ人は、さぞや閻魔も困りたまはん
~一休宗純~
(28) 美人の淫水を吸い風流な情事を終わって三世の愛を誓う。私は生身のまま畜生道に堕ちたのだ
~一休宗純~
(29) 見たことも聞いたこともない
~一休宗純~
(30) 悟りなどないということを悟った
~一休宗純~