亀井勝一郎のプロフィール
亀井勝一郎(かめいかついちろう)
・昭和期の文芸評論家、日本藝術院会員。
・はじめ左翼的政治運動に参加したが、のち転向し、仏教思想に関心を深め、文芸評論、文明批評で活躍。
・1969年(昭和44年)より、文藝評論を対象した文学賞として亀井勝一郎賞が設けられたが、14回で休止した。
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亀井勝一郎の名言30選
(1) 小林秀雄は江戸の職人である。小林秀雄は栄養料理の名手である。只 この料理が必ずしも吾々の美観をまんぞくさせぬ
~ 亀井勝一郎 ~
(2) 絶望は人生に必ずつきまとうものだ。絶望しないような人間はある意味でたよりない人だといえる。なぜなら小さな自己に満足し、なんらの努力も考えごともしない人に、絶望は起こりえないからだ
~ 亀井勝一郎 ~
(3) 女性が弱いというのは嘘である。世の中に何が強いと言って、無神経な事ほど強いことはない
~ 亀井勝一郎 ~
(4) 理想の夫、理想の妻を得ようとするから失望するのだ。凡夫と凡婦が結婚するのである
~ 亀井勝一郎 ~
(5) 伝説には民衆の愛憎と夢が託されている
~ 亀井勝一郎 ~
(6) 私自身は中国を旅したこともなく、中国人と交わることもなかったが、しかも心中では、いわれなき蔑視あるいは軽侮の感情をもち、この国と戦わねばならね悲しみを身にしみて感ずるようなことはなかったのである
~ 亀井勝一郎 ~
(7) 善事は罪悪感を抱きながらせねばならない
~ 亀井勝一郎 ~
(8) 多忙であることによって、自分は何か仕事をしたという錯覚を抱くことが出来る
~ 亀井勝一郎 ~
(9) 人間の心は、眼や表情にもあらわれるが、後姿にはっきりあらわれることを忘れてはならぬ
~ 亀井勝一郎 ~
(10) 夫婦生活は、神経の使い方が問題である
~ 亀井勝一郎 ~
(11) 井伏鱒二、太宰治等の作家に長く交わり、ともすれば生硬になりがちな批評家の批評筋肉といったものを、柔らかくもんで貰ったことも記しておきたい
~ 亀井勝一郎 ~
(12) 未完成の自覚を持って、絶えず努力してゆくところに青春がある。たとい若くても、自己満足におちいっているなら、その人は老人に等しい
~ 亀井勝一郎 ~
(13) 徒党というものは一面からいえば孤独に耐え得ざる精神の休憩所だ
~ 亀井勝一郎 ~
(14) 恋愛にも日曜日がなければならない。それが辛うじて永続させる方法であり、つまり「忘却」の逆用である
~ 亀井勝一郎 ~
(15) 結婚とは青春の過失であるとある作家は言ったが、過失であって結構なのである。お互いにしまったと思いつつ、「お互いに、しまったわね」などとニヤニヤ笑いながら、さし向いで言うようになったらしめたもので、それが夫婦愛というものだ
~ 亀井勝一郎 ~
(16) 青年時代に一番大切なことは、いつまでたっても解決できないような途方にくれるような難題を、自己の前に設定することではなかろうか
~ 亀井勝一郎 ~
(17) 恋とは巨大な矛盾であります。それなくしては生きられず、しかもそれによって傷つく
~ 亀井勝一郎 ~
(18) 「明日は」「明日は」と言いながら、今日という「一日」をむだにすごしたら、その人は「明日」もまた空しくすごすにちがいありません
~ 亀井勝一郎 ~
(19) すべての欠点は長所にむすびついている
~ 亀井勝一郎 ~
(20) いくつになっても、こっぴどく自分をやっつけてくれる先輩を持つことは、悔しいけれど、人生の幸福である
~ 亀井勝一郎 ~
(21) 人は後姿について全く無意識だ。そして何げなくそこに全自己をあらわすものだ。後姿は悲しいものだ
~ 亀井勝一郎 ~
(22) 教養の真のあらわれは、その人の「はにかみ」にある
~ 亀井勝一郎 ~
(23) 割り切りとは、魂の弱さである
~ 亀井勝一郎 ~
(24) 恋愛は激しいほど休息を欲している
~ 亀井勝一郎 ~
(25) 恋する男女は、恋することによって言葉を失うものです
~ 亀井勝一郎 ~
(26) 繊細な感受性とは、ニュアンスへの鋭敏さともいえるだろう。日本語でいうなら陰翳(いんえい)への愛だ
~ 亀井勝一郎 ~
(27) 愛情がこもっていて無口な人こそ、人生の伴侶としてふさわしい
~ 亀井勝一郎 ~
(28) 孤独はそれを求めたり、感じたりしているときよりも、むしろ予期しないときに来るものだ。例えば明確に断言する、決断する、そういう時ふと自分に奈落を感じる場合があろう
~ 亀井勝一郎 ~
(29) 夫婦の間に、あるいは両親と子どもの間に、肉親だから何ごとでも自由に語れると思ったら間違いだ
~ 亀井勝一郎 ~
(30) 女性は処女性をもっても、魔性をもっても、男性を征服することは出来ないが、ただ母性をもってのみ征服することが出来る
~ 亀井勝一郎 ~