加藤清正の名言20選|心に響く言葉

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加藤清正のプロフィール

加藤清正(かとう きよまさ)
・1562年7月25日に生まれ、1611年8月2日に亡くなる。
・安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。
・豊臣秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍の一人。
・秀吉没後は徳川家康に近づき、関ヶ原の戦いでは東軍に荷担して活躍し、肥後国一国と豊後国の一部を与えられて熊本藩主になった。
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加藤清正の名言 20選

(1) たとえ後で罪を得ても座視しているわけにはいかない。

~加藤清正~

(2) 表と裏、両面のこころがけ、どれもおろそかにしてはならじ。

~加藤清正~

(3) 上一人の気持ちは、下万人に通ずる。

~加藤清正~

(4) 晴れると見れば、にわかに雲が出てきて、大雨になることもあります。測りがたきは人の心でございます。

~加藤清正~

(5) よその若者を誉めることは、うちの若者をけなすことだ。

~加藤清正~

(6) 奉公の道に油断してはならない。朝は辰刻(7時~9時)に起きて兵法を使い、飯を食い、弓を射、鉄砲を撃ち、馬に乗るがよい。武士の嗜みのよい者には、とくに昇進させるだろう。

~加藤清正~

(7) わしだって軽くしたい。だが、わしがこうしていれば家臣も見習い、常に戦時の備えを怠らないであろう。

~加藤清正~

(8) 自分は一生のあいだ、人物の判断に心を尽くし、人相まで勉強した。でも、結局はよくわからなかった。ただ言えるのは、誠実な人間に真の勇者が多いということだ。

~加藤清正~

(9) どこに陣を取っても、清正に知らせずに、乱暴狼籍に身分の低い者をこき使う者があったならば、その主人の責任として成敗を加える。この旨、下々人足以下の者にまでよくいい聞かせよ。これからは、いかに勇敢に戦っても、掟に従わなかったら、何事も不用になる。

~加藤清正~

(10) おまえは、自分の功を立て、かれは忠をつくした。

~加藤清正~

(11) およそ下の者は上の者を学ぶ。大将がくつろげば、下は大いに怠けるものなので、いつも陣法を厳しくすることだ。

~加藤清正~

(12) 普段の友達づきあいは一人くらいにしておくといいだろう。ただし、武芸を催す場合には、多人数集まってやるがよい。

~加藤清正~

(13) 屍を戦場にさらすとも褥の上にて死なんとは思い設けず。

~加藤清正~

(14) 汝らは、等しく我股肱腹心なり 使うところはその器に従う。

~加藤清正~

(15) 鉄砲隊を率いる鉄砲頭は、日頃申しつけたように、鉄砲を役に立て、その次は、槍、太刀、刀の衆へ引き継ぎ、その後の展開に注意し、後詰めをすることが肝要である。一人一人の突出した働きは、武者の中にははいらぬ。

~加藤清正~

(16) 表の並木には桜を、裏の並木には栗を。

~加藤清正~

(17) 人は一代、名は末代。天晴武士の心かな。

~加藤清正~

(18) 学問に精を入れよ。兵法の書物を読み、忠孝の心がけを持つことが肝要だ。詩や連歌や和歌などをみだりに作ったり読んだりしてはならない。心の中に華奢で風流な手弱いことばかりをかけていたならば、いかにも女のようになよなよしくなってしまうものだ。武士の家に生まれたからには、太刀や刀をとって死ぬことこそ本当の道である。

~加藤清正~

(19) お前たちは、どちらも大切な我が家臣。使うところはその器に従う。

~加藤清正~

(20) 俺は早く死にたい。

~加藤清正~

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