河井継之助のプロフィール
河井継之助(かわい つぎのすけ)
・1827年1月27日に生まれ、1868年10月1日に亡くなる。
・江戸時代末期(幕末)の武士。
・越後長岡藩牧野家の家臣。
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河井継之助の名言 30選
(1) 学問して、長く形勢を見たき事なり。
~河井継之助~
(2) 人間はどんなに偉くとも、人情に通ぜず、血と涙が無くては駄目だ。
~河井継之助~
(3) 世の中は大変に面白くなって来た。寅(外山寅太)や、何でもこれからの事は商人が早道だ。思い切って商人になりやい。
~河井継之助~
(4) 心を直に悟るなら、現在未来の仕合せあり、子々孫々にも栄ゆべし。
~河井継之助~
(5) 民は国の本、吏は民の雇い。
~河井継之助~
(6) 天に雲なく、風も止む。月、愛す可し。
~河井継之助~
(7) サウ(そう)、人が高い処(ところ)処といふならば、己は一番、低い所を取って見せようか。
~河井継之助~
(8) 出るとき進むときは人の助けが要るが、おるとき退くときは己の力のみである。自ら決せよ。
~河井継之助~
(9) 面白いだけのことで本を読むのであれば、いっそ本を読まずに芝居か寄席へでも往くがよい。
~河井継之助~
(10) 有才の人、徳なければ人服さず、有徳の者も才なければ事立たず。
~河井継之助~
(11) 八十里、こし抜け武士の越す峠。
~河井継之助~
(12) 一忍をもって百勇を支え、一静を以て百動を制す。
~河井継之助~
(13) 戦争はしたくないものだ。
~河井継之助~
(14) 不遇を憤るような、その程度の未熟さでは、とうてい人物とはいえぬ。
~河井継之助~
(15) 人間万事、いざ行動しようとすれば、この種の矛盾が群がるように前後左右に取り囲んでくる。大は天下のことから、小は嫁姑のことに至るまですべて矛盾に満ちている。この矛盾に、即決対処できる人間になるのが、俺の学問の道だ。
~河井継之助~
(16) 勝ったものも、負けたものも、武士といふ階級は、大勢の者(農工商)に負けてしまふ。見苦しいことをせずと、武士の絶えぬうちに死んだ方がよからう。潔く戦はうではないか。
~河井継之助~
(17) 女子にも辛苦艱難をを遂げ、名を残し候ものも、昔より数々これあり。
~河井継之助~
(18) 母鶏の卵を愛するや、寝食を忘れて、これを覆翼し、寸時も体を離さず。人の身を慎み、志を持するものは、すべからく彼の如くなるべし。
~河井継之助~
(19) 死ぬ気になって致せば、生きることも出来、もし死にたくない、危ない目に遭ひたくないといふ心があらうなら、それこそ生きることも出来ず。
~河井継之助~
(20) 自分の心を責め候ては、一つも立つ所なく。
~河井継之助~
(21) 武士の対面を保つにはどうしたら宜しかろう。
~河井継之助~
(22) 漫然多読するも、何の易かあらん。読書の功は細心精読するに在り。
~河井継之助~
(23) 欲の一字より、迷いのさまざま、心をくらます種となり。終りは見を失ひ、家をも失ふにいたるべし。
~河井継之助~
(24) 見て居ろ。男の髪は皆んな「じゃんぎり(散切り)」になる。
~河井継之助~
(25) 人間と云ふものは、棺桶の中へ入れられて、上から蓋をされ、釘を打たれ、土の中へ埋められて、それからの心でなければ、何の役にも立たぬ。
~河井継之助~
(26) 立身出世は孝の終り。
~河井継之助~
(27) とかく学問を職業のように致し候者多く、才徳兼ね候実学の人少なきように存ぜられ候。
~河井継之助~
(28) 志ほど世にとけやすく、壊れやすいものはない。
~河井継之助~
(29)(山田方谷)先生程では、越後屋の番頭が勤まる。
~河井継之助~
(30) ほめそやさるるは仇なり。悪(にく)みこなさるるは師匠なり。
~河井継之助~