杉原千畝のプロフィール
杉原千畝(すぎはら ちうね)
・1900年1月1日に生まれ、1986年7月31日に亡くなる。
・現在の岐阜県美濃市出身の外交官。
・第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、ドイツの迫害によりポーランドなど欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。
・1940年7月から8月にかけて、外務省からの訓令に反して大量のビザ(通過査証)を発給し、避難民を救ったことで知られる。
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杉原千畝の名言 10選
(1) 大したことをしたわけではない。当然のことをしただけです。
~杉原千畝~
(2) 人間としての資質をもち、この手でユダヤ人を救おう!
~杉原千畝~
(3) 私に頼ってくる人々を見捨てるわけにはいかない。でなければ私は神に背く。
~杉原千畝~
(4) 私のしたことは外交官としては、間違ったことだったかもしれない。しかし 私には頼ってきた何千人もの人を見殺しにすることはできなかった。
~杉原千畝~
(5) 外務省に背いて領事の権限を使って、この人たちにビザを発行しようと思う。
~杉原千畝~
(6) 世界は大きな車輪のようなものですからね。対立したり、あらそったりせずに、みんなで手をつなぎあって、まわっていかなければなりません…。では、お元気で、幸運をいのります。
~杉原千畝~
(7) ユダヤ民族から永遠に恨みを買ってまで、旅行書類の不備だとか、公安上の支障云々を口実にビザを拒否しても構わないというのか?それが果たして国益に叶うことだというのか?苦慮の挙句、私はついに人道主義、博愛主義第一という結論を得ました。
~杉原千畝~
(8) 私たちと同じ立場の人が仮に百人いたとしても、このユダヤ人たちを助けようとしないかもしれない。でも僕たちはやろうか。
~杉原千畝~
(9) 日本人は中国人に対してひどい扱いをしている。同じ人間だと思ってない。
~杉原千畝~
(10) 果たして、浅慮、無責任、我無者らの職業軍人グループの、対ナチス協調に迎合することによって、全世界に隠然たる勢力を擁する、ユダヤ民族から永遠の恨みを買ってまで、旅行書類の不備、公安配慮云々を盾にとって、ビザを拒否してもかまわないが、それが果たして、国益に叶うことだというのか。苦慮、煩悶の揚句、私はついに、人道、博愛精神第一という結論を得た。そして私は、何も恐るることなく、職を賭して忠実にこれを実行し了えたと、今も確信している。
~杉原千畝~