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真田昌幸のプロフィール
真田昌幸(さなだまさゆき)
・戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。
・甲斐国の武田信玄の家臣となり信濃先方衆となった地方領主真田氏の出自で、真田幸隆(幸綱)の三男。
・織田信長の軍門に降り、滝川一益の与力となったが、本能寺の変後に再び自立し、近隣の北条氏や徳川氏、上杉氏との折衝を経て、豊臣政権下において所領を安堵された。
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真田昌幸の名言9選
(1) 我が真田家は今存亡のときを迎えておる。道を誤ってはならぬ。我らは二つに別れてそれぞれの道を歩むしかあるまい。どちらか生き残ればそれでよい。遺恨も後悔もあるまいぞ
~真田昌幸~
(2) さてもさても口惜しきかな。内府をこそ、このようにしてやろうと思ったのに
~真田昌幸~
(3) わしは戦いには負けておらぬ。時代という化け物に負けたのだ
~真田昌幸~
(4) 此の一両年は年積もり候ゆえ、気根くたびれ候(中略)ここもと永々の山居、よろず御不自由御推察なさらるべく候
~真田昌幸~
(5) 只兵法は譜代の臣を不憫がる、礼儀を乱さざることが軍法の要領
~真田昌幸~
(6) 我あと三年生きれば、秀頼公に天下を献上す
~真田昌幸~
(7) 常に法度の多きは宜しからず
~真田昌幸~
(8) 何事も 移ればかわる世の中を 夢なりけりと思いざりけり
~真田昌幸~
(9) たとえ錦を着ても心が愚かならば役に立たない
~真田昌幸~
真田幸村の名言15選|心に響く言葉
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