北大路魯山人のプロフィール
北大路魯山人(きたおおじろさんじん)
・日本の芸術家。本名は北大路 房次郎(きたおおじ ふさじろう)。
・晩年まで、篆刻家・画家・陶芸家・書道家・漆芸家・料理家・美食家などの様々な顔を持っていた。
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北大路魯山人の名言15選
(1) 飽きるところから新しい料理は生まれる。
~北大路魯山人~
(2) 料理というのは、どこまでも理を料ることで、不自然な無理をしてはいけないのであります。
~北大路魯山人~
(3) 料理は自然を素材にし、人間の一番原始的な本能を充たしながら、その技術をほとんど芸術にまで高めている
~北大路魯山人~
(4) いいかね、料理は悟ることだよ、拵えることではないんだ。
~北大路魯山人~
(5) 味に自信なき者は料理に無駄な手数をかける
~北大路魯山人~
(6) 日本人が常に刺身を愛し、常食する所以は、自然の味、天然の味を加工の味以上に尊重するからである。
~北大路魯山人~
(7) 低級な人は低級な味を好み、低級な料理と交わって安堵し、また低級な料理を作る。
~北大路魯山人~
(8) すべて本来の持ち味をこわさないことが料理の要訣である。
~北大路魯山人~
(9) 富士山には頂上があるが、味や美の道には頂上というようなものはまずあるまい。仮にあったとしても、それを極めた通人などというものがあり得るかどうか。
~北大路魯山人~
(10) 河豚の旨さというものは実に断然たるものだ、と私は言い切る。これを他に比せんとしても、これにまさる何物をも発見し得ないからだ。
~北大路魯山人~
(11) 我々はまず何よりも自然を見る眼を養わなければならぬ。これなくしては、よい芸術は出来ぬ。これなくしては、よい書画も出来ぬ。絵画然り、その他、一切の美、然らざるなしと言える。
~北大路魯山人~
(12) ものさえ分かって来ると、おのずから、趣味は出て来るものである。趣味が出て来ると、面白くなって来る。面白くなって来ると、否応なしに手も足も軽く動くものである。
~北大路魯山人~
(13) 書でも絵でも陶器でも料理でも、結局そこに出現するものは、作者の姿であり、善かれ悪しかれ、自分というものが出てくるのであります。
~北大路魯山人~
(14) 人間は純理にのみ生きるものではないということを考えねばならない。
~北大路魯山人~
(15) 食道楽も生やさしいものではない。とにかく、かつての日本人の衣食住は、すべて立派であった。国外に遠慮するものあったら、それは間違いだ。
~北大路魯山人~