前田日明のプロフィール
前田日明(まえだ あきら)
・1959年1月24日生まれ、大阪府大阪市出身。
・日本のプロモーターで元プロレスラー。
・リングスCEO、THE OUTSIDERプロデューサー。
Wikipedia
前田日明の名言 30選
(1) 俺は誰とも交われないんですよ。
~前田日明~
(2) 選ばれし者の恍惚と不安、ふたつ我にあり。
~前田日明~
(3) UWFの前に常勝チャンピオンなどあり得ない。
~前田日明~
(4)(リングスを旗揚げしたのは)自分の言葉に責任を持っただけだよ。自分ひとりで何もかもやった。誰の手も借りなかった。自分の頭とハートだけでやり遂げた。
~前田日明~
(5) ごちゃごちゃ言わんと、誰が強いか決まるまでやればいいんだよ、決まるまで。
~前田日明~
(6) 港のない無人島に漂流して初めて言葉が通じたような気持ち。
~前田日明~
(7)『ひとりぼっち』になれたからこそ、俺は\”復讐\”できるんだとも思った。要するに、リングスを立ち上げ、ひとりで闘うということは自分自身の\”復讐\”を成功させることにも繋がるんだと勝手に気分を盛り上げていた。
~前田日明~
(8) 俺らは、どんな動きでも格闘技としての整合性を考えるんですよ。
~前田日明~
(9) 俺はファンには媚びない。
~前田日明~
(10) 誰もプロレスに責任を持たない。誰もプロレスと一緒に恥かいてやろうとする人間がいないじゃない。「人のために何かやっている」「人のために働いている」とかいう人がいるけど、それが嘘か本当か見分けるポイントは一つだけ。その人間がその人のために恥をかけるか!自分のプライドと、その人のプライドが重なった時にどっちを取るか、だけ。
~前田日明~
(11) 自分たちはプロレスに関して”スタントマンのメロドラマ”を目指してたんですよ。スタントマンは下手したら大怪我するし、命を失います。
~前田日明~
(12) 俺は不器用だからね。前へ前へと進むしかないんだ。
~前田日明~
(13) 毎試合、この試合が選手として最後の試合になるんじゃないかと思っていた。
~前田日明~
(14) 俺が入った頃の新日本プロレスの道場で、レスラーは強くないとあかん、そのために関節技とか勉強しなきゃいかん、新日本プロレスは発展して、いずれショープロレスじゃなくて格闘技をやろうと思ってるって言われた。俺はそれを真剣に信じて、自分が新日本を辞めてからも忘れずにやった、っていうだけの話でね。
~前田日明~
(15) このまま何もしなかったら、俺の”帰る場所”がないじゃないかと思ったんだ。俺は一体、どこに帰ればいいんだろう。俺の”帰る場所”をなんとか自分で探さないといけないと思った。自分で”帰る場所”を見つけ出すしかなかったんだ。
~前田日明~
(16) プロレスとは、真剣にやれば死ぬこともあります。
~前田日明~
(17) たまたまファンから貰ったボードレールの『悪の華』という詩集を開いたんだよね。で、そこに書かれてあった詩の一節にこんな言葉が綴られていたんだ。『男性美とは、”神秘”と”復讐”なのである』と。その時、パァーッと視界が開けたような気がしてね。
~前田日明~
(18) 原点を辿っていけば全ては戦場に行きつくんです。
~前田日明~
(19) アントニオ猪木なら何をやっても許されるのか。
~前田日明~
(20) 本当に統一コミッションで何かやるんだったら、レスラーになるための基礎的な教育だとか、小さな団体が興行に医者を連れて行く余裕がないんだったら派遣してやるとか、そういうことから始めたほうがいい。
~前田日明~
(21) 格闘技戦は水モノ。ずーっとやっていくものじゃないよね。
~前田日明~
(22) 自分の気持ちばかり抑えたり相手のことを無理にでも理解しようとしたりしてたら何も前に進まない。だから、俺は単純に自分の周囲にいる人間たちを”敵か味方か”の2つに分けたんだ。
~前田日明~
(23) UWFを解散したことを、今日初めて後悔しました。
~前田日明~
(24) いま流行の老人ホームの学芸会みたいなことはやりたくない。
~前田日明~
(25) 一年たとうが二年たとうが、いつだって妥協しないぜ!
~前田日明~
(26) レスリングって言葉は総合格闘技って意味なんだよ。
~前田日明~
(27) 俺、自信があるんだ。誰よりも遠くに行けるし、誰よりも最短距離で目的地にたどり着いているしね。
~前田日明~
(28) 格闘技の延長線上の動き。それを追求しようとしても、自分の中に技術の蓄積とか経験とか実力が無いとできないんですよ。
~前田日明~
(29) 異種格闘技戦は砂上の楼閣、蜃気楼だよ。
~前田日明~
(30) 燃え尽きたというより、最後にするより仕方がないんです。
~前田日明~