高橋尚子のプロフィール
高橋尚子(たかはし なおこ)
・1972年5月6日生まれ、岐阜県岐阜市出身。
・元陸上競技選手(女子マラソン)。
・2000年、シドニー五輪金メダリスト、女子マラソンの元世界記録保持者。
・女子スポーツ界で初の国民栄誉賞を受賞。
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高橋尚子の名言 30選
(1) あそこに勝たないと、私の次の扉はいつになっても開かないんです。ですから、あの坂を自分で乗り越えて勝ちたかった。
~高橋尚子~
(2) あきらめたとは思ってないです。
~高橋尚子~
(3) 本当に強い人が順当に入ってくれればいいんですが、毎回波乱が起きるのが選考会ですよね(笑)。私も落ちましたが、それが実力だったと思っているので納得しています。もめると思うとちょっとドキドキするんですが、変に救済措置をすると、それもまた問題な気がします。
~高橋尚子~
(4) 辞めようと思って暗闇にいた私だけど、夢を持っていれば光が見える。それを支えてくれた人に伝えたい。
~高橋尚子~
(5) 金メダルも世界記録もすごいと思いません。それより目標を達成した喜びが大きいです。
~高橋尚子~
(6) 輝ける場は人それぞれ。いかに輝くかはその人次第だと思います。
~高橋尚子~
(7) 長い階段を一気に上がろうとすると、 途中でへばってしまう。 でも一段ずつ確実に上がっていけば、 時間はかかっても頂上まで上がることができる。
~高橋尚子~
(8) これはあくまで持論ですが、私たちの時代は優勝を目指さなければ意味がないという感じでした。だから、ここで練習をやめて7、8位を争うくらいなら、けがをしてもいいから上位に食い込もうと練習していました。絶対にけがをするとは限らないのだから、とにかくやってみようと。勝ちに望みをかけていました。メダル争いを放棄するくらいなら、ギリギリまで粘ってやるという感じで、練習に突き進んでいた気がします。
~高橋尚子~
(9) 今あれこれ考えるより、 そのちょっとの間に、 腹筋とか何かをしたほうが良い。 アテネに向けて、 1日、1日を全力を尽くしたと言えるようにしたい。
~高橋尚子~
(10) 実業団時代を振り返ると、チーム内に有森裕子選手がいて、鈴木博美選手がいて、ある意味、試合より練習のほうが緊張しました。今は選手層が薄くなり、練習量が減り、選手が練習でもまれる状況が減ってきたのが心配です。
~高橋尚子~
(11) 選手にけがをさせるほど練習させるのは良くない。それは当たり前です。でも、みずきちゃんとよく話すんですが、『この練習をしたらけがをするかもしれない。でもやらないと世界と戦えないとしたらどうする?』って。私たちは迷わず、けがをしてもいいから突き進む道を選びます。
~高橋尚子~
(12)「あしたのジョー」のように、戦い終え、そのまま頭の中が真っ白になっていくほど走れたら本望なんです。
~高橋尚子~
(13) 私もそうでしたが、誰もやったことがないのに本当にできるのかなという不安の中でやるのと、もうやり遂げた人がいる道を通るのはぜんぜん違います。女子のみんなには、もっと自信を持ってもらって、自分にもできるんだと思ってほしいです。体形を見ても、私たちのころと今の子どもたちは脚の長さも違うし、背の高さも違うし、ものすごく恵まれた素質を持っています。あとは、それを咲かせるだけです。できないはずはありません。
~高橋尚子~
(14) 小学校の頃は、走ることは好きでしたが、走ることを生活の中心には置いていませんでした。大会に出る機会もあまりありませんでした。中学校で陸上部に入ってからは、何とかして強くなりたいのにその方法が分からなくて悩むことが多かったです。
~高橋尚子~
(15) 私はすべての大会において、結果がどうなろうとも、スタートラインに立った時は『やるべきことはすべてやった』という気持ちでした。なぜそういう気持ちになれるかというと、それまでの一日一日がすべて、『きょうはすべてやりきった、もう走れない』『ありがとう。あしたもまた一緒にがんばろう』と抱き合って終わる毎日を過ごしてきたからです。
~高橋尚子~
(16) ハートはそんなに強くないと思います。どちらかというと精神的に弱いです(笑)。ここまでやってこられたのは、いつもその時々の目標を追いかけていたからだと思います。
~高橋尚子~
(17) よかったことの現実も、悪いことの現実も、次へ向かう糧にしたい。
~高橋尚子~
(18) 暗闇の中でも、夢を持つことで、ホントに1日1日を充実した時間を過ごすことが出来ました。なので、陸上に関係なく、いま暗闇にいる人や悩んでいる人、ほんとに1日だけの目標でも3年後の目標でも何でも目標を持つことで、すごく一歩一歩1日が充実すると思います。
~高橋尚子~
(19) すべての1日が精一杯頑張ったという1年にしたい。
~高橋尚子~
(20) 現役を引退して、これから何をしていこうと考えた時、それまで走ることしか考えていなかったことに気づきました。自分は『井の中の蛙かわず』だったと。逆にそうでなければいけなかったとは思うんですが、一日の生活は食べて、寝て、走るという、本当にそれしかなかったんです。テレビも見ず、パソコンもケータイもしない、そんな純粋なマラソン生活でした。
~高橋尚子~
(21)『お前は上り坂に弱い』とずっと言われていて、『下りは得意だから、下りは誰にも負けないようにしよう』とがんばっていたら、いつの間にか、小出監督に『お前は上りがうまいな』と言われて、びっくりした覚えがあります。自分で弱いと思っているだけで、納得できる走りができれば克服できると思います。
~高橋尚子~
(22) 人への感謝の気持ちも、自分の力になる。
~高橋尚子~
(23)(陸上部の監督がよく選手に贈る言葉、高橋選手の座右の銘)何も咲かない寒い日は、下へ下へと根をのばせ。やがて大きな花が咲く。
~高橋尚子~
(24) とても楽しい42キロでした。
~高橋尚子~
(25) 負けるのが恥ずかしいとは思っていません。
~高橋尚子~
(26) 人以上やって人なみ。人の倍以上やってようやく…。もう走れないほど練習しても一晩寝ると不思議と走れてしまう。
~高橋尚子~
(27) いままでにいったいどれだけ走ったか…残すはたった42キロ。
~高橋尚子~
(28) ちょっとだけ頑張る ことを、毎日続けてみよう。
~高橋尚子~
(29) 夢を持ち続けて頑張れば、暗闇の道にも光が差してくる。
~高橋尚子~
(30) 私はほめられると弱いので、いいぞ、いいぞって言われると、嬉しくてどんどんがんばっちゃうんです。
~高橋尚子~