野茂英雄のプロフィール
野茂英雄(のも ひでお)
・1968年8月31日生まれ、大阪府大阪市港区出身。
・元プロ野球選手(投手)。右投右打。
・2016年2月からサンディエゴ・パドレスのアドバイザーに就任。
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大リーグ進出のパイオニア
野茂英雄さんは近鉄バファローズの投手として活躍していましたが、1995年に渡米、ロサンゼルス・ドジャーズに入団し、村上雅則さんに次いで日本人として2番目の大リーガーになりました。 「日本のプロ野球を捨てた」と激しいバッシングを受けるも、同年にいきなりナショナル・リーグの新人王と最多奪三振のタイトルを獲得しました。 「トルネード(竜巻)投法」と呼ばれる独特のフォームから投げる落差の大きなフォーク・ボールで三振を量産、“NOMO”旋風を巻き起こしました。1996年と2001年にはノーヒット・ノーランを達成、米国中を沸かせました。
野茂英雄の名言 20選
(1) ドジャーズの一員となった,この日は生涯忘れません。
~野茂英雄~
(2) 自分の成績だけがチームの勝利に結びつくんじゃなくて,投げない日も自分が何かもっとできるんじゃないか。
~野茂英雄~
(3) メジャーリーガ-になるんだという強い意志さえ持っていれば,いつかはきっとか叶う夢だと信じてやってきました。
~野茂英雄~
(4)(引退の決断に際して)自分の中ではまだまだやりたい気持ちが強いが、自分の気持ちだけで中途半端にしていても周りに迷惑をかけるだけだと思った。
~野茂英雄~
(5) 僕を通じてメジャーの良さがわかったというんであれば、それはそれで嬉しい。
~野茂英雄~
(6) 日本の野球をクビになったからといって諦める必要はない。アメリカに来たって野球はやれる。
~野茂英雄~
(7) 今、芽の出ていない人も諦める必要はない。
~野茂英雄~
(8) 新日鉄に入った時もそうでしたが、後輩のことを考えて行動しなければならないという思いがあったので、その面でも責任を感じていたんです。自分の振る舞いが、後に続く人に影響するんだというのは、すごく思ってました。
~野茂英雄~
(9) 自分の気持ちに正直になった方がいい。
~野茂英雄~
(10) せっかく来たのだから、豊岡を、いつか少年野球や社会人野球のメッカにしたい(NOMOベースボールクラブ)。
~野茂英雄~
(11) チャレンジしないまま残りの人生を後悔して過ごしたくない。
~野茂英雄~
(12)(メジャーリーグで成功できた理由は?)マイペースだったから。
~野茂英雄~
(13) 自分がプロ野球選手として自立できたのも、新日鉄堺時代に社会人としてのマナーを教え込まれたことが大きい。
~野茂英雄~
(14) 思い切り振れ、思い切り投げろ。
~野茂英雄~
(15) 僕も(自分の)子供の試合を観に行った時は、なるべく口出さない。
~野茂英雄~
(16)(記録とかより)とにかく勝ちゃいい。
~野茂英雄~
(17) チャンスを生かすために日々努力。
~野茂英雄~
(18) メジャーは選手会がしっかりしている。
~野茂英雄~
(19) 若い人には、失敗してもいい場所が必要だと思う。
~野茂英雄~
(20) できるようになるまで反復してやる。
~野茂英雄~