太田雄貴のプロフィール
太田雄貴(おおた ゆうき)
・1985年11月25日生まれ,滋賀県大津市出身。
・フェンシング選手(フルーレ)。
・アテネ五輪では9位,北京五輪では2位の記録を残した。
・2015年のフェンシング世界選手権では,フルーレ個人で優勝を達成した。
Wikipedia
太田雄貴の名言 30選
(1) 日本人でも金を取れるということを証明したかった。
~太田雄貴~
(2) トレンドマイクロが大切にしている『ディフェンスする』ということは(フェンシングと)似通っている。
~太田雄貴~
(3) 最近の自分自身のモットーは「疑うな」です。できない、と思ったら何もできません。だから僕は、自分が金メダルを取れないわけがないと思っています。
~太田雄貴~
(4) ただ生きるだけであれば一定量のご飯と衣服と住居、ある程度の衣食住があれば生きていけます。でも人間が喜びや幸せを感じる時は、その一定量以外のものを見た時であり、そこに感動が生じると思うんです。
~太田雄貴~
(5) 努力した人間というのは、その過程で必ず何かを得ているんです。
~太田雄貴~
(6) 忘れてはいけないのは、努力したから必ず勝てるとは限らない。それが大前提。でも、勝った選手というのは、絶対に努力しているんです。
~太田雄貴~
(7) 忘れてはいけないのは、努力したから必ず勝てるとは限らない。それが大前提。でも、勝った選手というのは、絶対に努力しているんです。
~太田雄貴~
(8) 選手にとって一番つらいのは期待されないことですから、求められるものが高ければ高いほど僕はうれしく思います。
~太田雄貴~
(9) 僕のとっておきの方法があるんです。お風呂に入る前と後に、優勝インタビューの練習をするんですよ。それをやっていると、自分が優勝するイメージがもっともっとリアルになる。そして、いつかその場面に遭遇するんですよ。
~太田雄貴~
(10) 当たり前のことですが、優勝者というのは一大会でたった一人。勝てない中で練習を続ける時というのは、本当にしんどいです。それでも、練習を続けてきたからこそオリンピックでメダルが取れたと思っています。
~太田雄貴~
(11) 五輪には魔物がいるとされるが、僕がその魔物になれれば。金メダルを取るためにやってきた。
~太田雄貴~
(12) 日本の団体は僕が魂だ。
~太田雄貴~
(13) 欧州では競技会だけでなく外の関係も大事にする。僕らもそうしたかった。
~太田雄貴~
(14) 本当に厳しい試合だった。(ツアー大会の)W杯なら早い段階で負けていたかも。観客のブーイングや声援が後押ししてくれた。
~太田雄貴~
(15) 北京で僕や千田(健太)がベスト16で敗退していたら関係者の責任問題になり、日本フェンシングは消滅すると思っていました。
~太田雄貴~
(16) フェンシングにはオリンピックもあるよと伝えたい。
~太田雄貴~
(17) いいコーチになるということは、難しいですね。でも、スポンサー集めとか、組織をうまくマネージメントしていく自信はある。今は、強い組織を作るための手助けからはじめている。少しでもフェンシング普及のための手助けができるとうれしい。
~太田雄貴~
(18) チャンスがあったらチャレンジしたい。
~太田雄貴~
(19) 自分の可能性をもっと広げたい。
~太田雄貴~
(20) 一芸に秀でている人が好きですね。どんなことでも、何でもいいんです。何かひとつ得意分野を持っている人って、素敵だと思います。
~太田雄貴~
(21) 僕の周りは男が多くて、僕に厳しいんですよ(笑)。疲れていても『態度悪いぞ』なんて言われちゃって。そんなことを言ってくれる先輩たちの愛に包まれています。
~太田雄貴~
(22) 北京のときは、初のメダリストということで大きな変化がありました。でも、そのときは対応の仕方がよくわからなかった。今回は、出会う人のバージョンがよりアップされたように思います。自分で何かを作り出すことも可能になった。
~太田雄貴~
(23) 僕はタレントじゃないから何にでも出演するわけではない。中途半端なことはやりたくない。フェンシングに関係ないものはやらない。でも、フェンシングを多くの人に知ってもらうための努力はおしまない。
~太田雄貴~
(24) 日本でフェンシングを広めたいという想いは変わりませんし、それが自分のライフワークだとも思っています。
~太田雄貴~
(25) 今年に関しては個人も団体もなかなか結果が出なくて、世の中的には僕達は五輪でしか活動していない様に見えるかもしれませんが、この1年間で10試合以上の試合には出場していますし、40試合以上消化している中で、五輪以外は注目されないというのは歯がゆくもあるのですが、2010年のパリの世界選手権で勝ちたいという想いがとても強くて、試合終了後に“燃え尽き症候群”になってしまいました。
~太田雄貴~
(26) 2020年は、現役としての出場は叶わないと思ってますが、若手の育成としっかりと後進を教えることで、最高の結果を出すと思います。
~太田雄貴~
(27) メダルがあると無いとでは人生が変わるというのは、日本だけでは無く、他の国でもそうなので、凄まじい駆け引きが行なわれているんです。
~太田雄貴~
(28) 日本人はどうしても謙虚な部分があって、もちろんそれは良い所でもあるのですが、損をしている部分が多いと思うので。
~太田雄貴~
(29) 北京五輪で銀メダルを獲得したことで、本当に人生が変わって。試合が思う様に行かないこともありましたが、メダリストの地位を失う怖さが自分の成長を止めていると思ったので、フェンシングにすがって生きていくのでは無く、色々なことにチャレンジしていきたいです。
~太田雄貴~
(30) うまくいったんじゃないかな。でもあの格好をして(着ぐるみのコスプレ)出演することがいいのか、悪いのか、僕の中で、ジャッジが難しかったな。
~太田雄貴~