プルシェンコのプロフィール
プルシェンコ
・1982年11月3日生,旧ソビエト連邦ソルネチヌイ出身。
・フィギュアスケート選手。
・トリノ五輪金メダリスト,ソルトレークシティ五輪及びバンクーバー五輪銀メダリスト,ソチ五輪団体戦金メダリスト。
・世界選手権優勝3回,欧州選手権優勝7回,グランプリファイナル優勝4回など輝かしい戦績を持つ。
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プルシェンコの名言 30選
(1) イタリアのサッカーが大好きで、もちろんユベントスが私の応援しているチームです。今でも「アレ」とはコンタクトを取っていますが、トリノに残るべきだったと思っています。チームの伝説的存在になっているのですから。
~プルシェンコ~
(2) まず自分自身の務めを優先し、自分の競技に集中するようにします。それから、時間があれば、間違いなくホッケーやその他の競技を見に行くでしょうね。
~プルシェンコ~
(3) フィギュアスケートは大きく変わりました。現在ではトランジションやスピン、そしてもちろんジャンプに大きな比重がかかります。自分たちのスポーツがこのように変遷したのを好ましく思います。
~プルシェンコ~
(4) バンクーバー後に決めました。というのも自分のキャリアをロシアの大会で締めくくるのが正当だと思うからです。それが自分にとって全てです。あの地で出発し、その同じ地で最後の競技に参加する。
~プルシェンコ~
(5) 常に自分の最善を尽くすよう努力してきたのは、競技が大好きだからです。挑戦が好きなので、ショーとは大きな違いを感じます。だからといってショーが嫌いというわけではないのですが、ショーだけだと充分なアドレナリン分泌を感じられないのです。(この二つでは)雰囲気は全く違い、自分は競技のために生まれてきたと思っています。
~プルシェンコ~
(6) 大部分の人は僕の側にいます。でも他の人たちはただ心が狭く…そして彼らは僕に今教えようとしています。“それはこういう方法やああいう方法でやる必要があった…”。
~プルシェンコ~
(7) 僕は確かな行いをしたと思いますし、もし誰かが生き続けること、仕事を愛すること、腕を垂れないことをそれによって鼓舞されたなら嬉しく思います。どんな場合でも!僕はそうしてきたと思います。
~プルシェンコ~
(8) 僕は4度目のオリンピックでもう一つ金メダルを獲ったという実例によって、僕は若い人たち含め、示したいんです、どんな場合でも腕を下げてしまうことはできない、もし何か困難な瞬間があっても…。
~プルシェンコ~
(9) “若い人に道を”。
~プルシェンコ~
(10) 僕は挑戦しました。僕は国のためにベストを尽くそうとし、スポーツのために、フィギュアスケートのために、ファンのために、可能なことすべてをやろうとしました。 でも、残念なことに、それは実現しませんでした。
~プルシェンコ~
(11) ある人々が、僕は若い人たちに道を譲るべきだったと言って、彼らのネガティブな感情を僕にはねかけるのはとても悲しいことです。概ね、僕は団体戦のフリースケートで背中に問題を感じ、そのためにサルコウとループ、2つのトリプルジャンプができませんでした。
~プルシェンコ~
(12) 僕は自分のキャリアにしっかりピリオドを打って、プロフェッショナルになりたかった。でも多分、僕がすでに言ったように、神が決めたんです、“ジェーニャ、終わりにすることが必要だ”。
~プルシェンコ~
(13) ソチでもう一つ金メダルを獲れて嬉しいです、でも、もちろん、僕はさらに望んでいました。残念です、健康のために競技を棄権しなければならなくなるとは、想像していませんでした。
~プルシェンコ~
(14) 今のところ、母国を離れる心の準備はできていません。ロシアのために活動してきたし、それを続けています。ここでフィギュアスケートの学校を開校し、ロシアの選手を育てたいです。それが私の夢です。
~プルシェンコ~
(15) 地下鉄を利用しろなんて。昔は地下鉄や列車でさんざん移動しました。飛行機で大会の場所に移動なんて誰もやっていませんでしたから、3等寝台列車とは何かをよく知っていますよ。
~プルシェンコ~
(16) 最近モスクワに、私のファンである10人の日本人が来たんです。「雪の王」のショーを見に。モスクワを観光したがっていたので、私も長いこと見てませんでしたし、喜んで案内に応じたんです。赤の広場に行ったのですが、すぐに後悔しました。そこにいたロシア人や外国人が写真やサインを求めてきて、騒ぎが起こったんです。フード付きの上着を着ていてよかったです。何とかごまかしました。
~プルシェンコ~
(17) サンクトペテルブルクからモスクワに来ると、特に違いを感じます。これは2つの違う街ではなく、2つの違う国です。
~プルシェンコ~
(18) 居眠りして、馬や女王の駒に頭をぶつけて死ぬ、と考えることも可能です。つまり、年齢についての偏見は、想像の産物にすぎないのです。
~プルシェンコ~
(19) ずっと前に選手生活を引退することも可能でしたが、毎回戻ってきました。3年競技せずに戻り、1年弱で2010年バンクーバー冬季五輪の準備をし、銀メダルをとりました。多くの人は、金メダルも取れていたと打ち明けてくれましたが。
~プルシェンコ~
(20) トマシュ・ベルネル選手、ブライアン・ジュベール選手も、ずっと前に引退することもあり得ましたが、何度も氷上にあがり続けました。
~プルシェンコ~
(21) 男子を例にあげると、昔は20歳で引退し、ショーに転向していました。私は何かを変え、他の人と違うことをしようとしました。
~プルシェンコ~
(22) 無理だとしたら、それは健康の問題のみです。選手にとって35歳とは何かなんて考えることはありません。スポーツは心持ちで決まります。
~プルシェンコ~
(23) 自分が羽生選手に好感を持っていることは隠しません。ファンですし、彼の後ろにフィギュアスケートの未来があると思っています。
~プルシェンコ~
(24) もうすぐ僕は31歳になる。僕の人生すべてがスケートだった。そして今分かったことがある。これは実に難しいスポーツであると。
~プルシェンコ~
(25) 僕だっていつもいつもスケートが好きなわけじゃない。頭や背中,肘にガツンと強い痛みを感じたとき,どう思う?そんなことを好きだと思う?自然と,僕は早く終わらせたくなった。そして芝に行って子供たちとゴルフをしたかったよ・・・。
~プルシェンコ~
(26) 僕はヤナの息子たちとは友達だよ。既に彼らには言ってあるけど,僕がフィギュアスケートを止めるとき,彼らと他のスポーツを探求していくつもりだ。彼らは今フットボールをプレイしている。しかもプロフェッショナルなレベルでね。彼らにはすぐに明らかにさせたんだ。『君たちはアスリートになる。君たちがサッカーを好きだろうとそうでなかろうとね』。
~プルシェンコ~
(27) 自分が天才だと思いません。努力の価値を知っている普通の人間です。
~プルシェンコ~
(28) 金メダルは、それを最も必要としている人の元へいく。
~プルシェンコ~
(29) 羽生選手のジャンプはすばらしい。彼はフィギュアスケートの未来だ。
~プルシェンコ~
(30) 僕はスケートをするために生まれてきたのだと思います。運命でした。
~プルシェンコ~