貴乃花光司のプロフィール
貴乃花光司(たかのはな こうじ)
・1972年8月12日生まれ,東京都杉並区出身。
・元大相撲力士。
・第65代横綱。
・引退のときに現役時代功績に対して一代年寄貴乃花が授与され,貴乃花部屋の師匠を務めた。
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貴乃花光司の名言 30選
(1) いわゆる長屋文化でいう近所付き合いが地域の方々との交流です。特に、地方場所では地域の方々が自由に朝稽古を見学に来ますし、地元のイベントにも積極的に参加しています。そういう今の日本に失われているものが相撲にはたくさんあるんです。
~貴乃花光司~
(2) 今の日本は核家族化が進んでいますが、相撲部屋には昔ながらの大家族が根づいています。後援会の方々が祖父母、師匠と女将(おかみ)が両親、兄弟子と弟弟子が兄弟です。よくできてますよ。
~貴乃花光司~
(3) 人間は絶対に負けられないときって、勝負しようとすると負けちゃうんですよ。体も動かないし……。だから、本当に負けられないときっていうのは、自分の人生をかけて、その場に居座ることが大切なんですよね。
~貴乃花光司~
(4) けっこう見落としがちなんですが、実は食べる順番も大事なんですね。まずは、ちゃんこの温かい汁を飲んで五臓六腑(ごぞうろっぷ)に染み渡らせるんです。そうしないと、なかなか食べ物が効率よく吸収されないんですね。私は食べることも稽古だと思っていますから食育も大切なんです。
~貴乃花光司~
(5) 給料がもらえるのも十両からだし、化粧まわしが作れるのもそう。人生が大逆転しますからね。昔、貧乏人が大富豪になる『大逆転』っていう映画がありましたが、まさにあんな感じ(笑)。とにかくメジャーに上がれるか、マイナーのままかという攻防戦ですから、みんな死に物狂いですよ。
~貴乃花光司~
(6) 相撲って、基本的に頭から全力でぶつかり合うんですね。しかも、デカい体同士が裸でぶつかり合うんです。こんな競技なんて、相撲以外にないんですよ。
~貴乃花光司~
(7) まずは周りの話をよく聞いて、自分で吟味し、そしてそこから答えを出したなら、それについての意見は一切気にしないようにしています。つまり、やると決めたことは最後までやり通すということです。その考えは一貫して変わりません。
~貴乃花光司~
(8) ただでさえ体が大きくて威圧的に見える力士が、道の真ん中を肩で風を切って歩いている姿なんて、私に言わせれば論外です。ほかに歩いている方々の邪魔にならないよう道の端っこを歩くべきです。そしてその姿勢は四股を踏む型どおり、背筋を伸ばした凛とした風体であるべきだと思います。
~貴乃花光司~
(9) 兄弟であって、兄弟以上の存在。語らなくても、目が合えば分かる唯一の仲です。
~貴乃花光司~
(10) やはり自分には実感として相撲界は縁の下の力持ちである女性に支えられてきたという思いがあるんです。おかみ業なんていうのはその最たるものです。弟子たちの身の回りの世話、お金の管理、食材の買い出しなど、おかみがいるからこそ男たちは相撲に集中することができます。
~貴乃花光司~
(11) 土俵の上が本当に魅力的な場になるためは、あべこべに聞こえるかもしれませんが、どれだけ土俵の外で相撲道の在り方を体現できているかが重要なんです。
~貴乃花光司~
(12) 競技が終わったら出番はおしまいというものではありません。勝っても負けても相手を敬おうとする姿勢であったり、目上の者に対して礼儀正しく振る舞う礼節であったり、相撲には日本人として誇るべき美しい作法やしきたりが多く残されています。力士はそれを担っているという自覚を持たなきゃいけないし、また、地域の人と交流を持ってそういう文化を普及させていこうという姿勢をもたなければならないと思います。
~貴乃花光司~
(13) 私は本当に多くの人に支えられて相撲を取ってきました。おかみさんをはじめ、力士を陰ながら支援をしてくださる数々の女性、土俵を仕切る行司や力士の結髪をする床山といった裏方の方々、ともに切磋琢磨し合った仲間達、そして相撲を愛して我々を応援してくださる多くのお客さん。それらの人々の後押しがなければ、現役時代の過酷な稽古を乗り切れたかどうか。
~貴乃花光司~
(14) 歴史上に名を残している人物は圧倒的に男性が多いですが、それらの偉人だって必ず女性に支えられていたはずですよ。そもそも女性の命がけの営みがなければ、我々男性はこの世に生まれてくることもないのですから。
~貴乃花光司~
(15) 大相撲という世界があったから、私はこの世に生を受けた意味があった。
~貴乃花光司~
(16) 相撲はほかのスポーツとは位置づけが異なりますからね。相撲は競技であると同時に日本の文化でもあります。つまり我々は文化の守り人だと思うのです。
~貴乃花光司~
(17) 自分のためではなく、人のために生涯を過ごすことがやはり日本人の幸せであるし、そこに一貫性を持つことは相撲界が公益性をもって生き残るうえでも大事だと思っています。
~貴乃花光司~
(18) 自分さえいい思いをすればいいというのは苦手です。「武士は食わねど高楊枝」という言葉がありますが、相撲界には残しておきたい言葉です。相撲界は地位が上の者から食べますが、私の部屋では兄弟子たちに一番弱い立場の後輩に目を配れと言っています。体をつくらなければいけないわけですから。
~貴乃花光司~
(19) プロは、「努力をしている」などと言うことは禁句の世界です。
~貴乃花光司~
(20) 負けて得るものより、勝って得ることの方が全然大きい。勝負事はやっぱり勝たなければいけない。
~貴乃花光司~
(21) たとえば岐路に立たされて、どちらの道かって迷ったときには、行きたくないほうの道を選べ、ということは徹底して言ってます。たぶん若いうちにそれが目の前にくるのか、時間の誤差だけだと思うんですね、人生っていうのは。ですから、先に若いうちにやっときゃいいだろうと。
~貴乃花光司~
(22)(相撲を諦めた、かつての弟子に対しての言葉)どうにもならなくなったら親方のとこに来い。それまでは「何でも仕事やらせて下さい、何でもやります、ドブの掃除でも何でもやります」そういう気持ちで行け。いいか、ドブなんて掃除するの手突っ込めばいいだけの話だろ?違うか?汚い仕事ほど綺麗なものはないぞ。いいな。
~貴乃花光司~
(23) まずは、どんな時でも踏ん張らなければいけないと思います。私は弟子たちにも「がんばれ」とはほとんど言いません。無理をして「がんばる」のではなく、信念を貫くために「踏ん張る」です。
~貴乃花光司~
(24) 私は、近道こそいばらの道だと思うんです。近道を行くとはつまり、安全な迂回ルートをとらないということでしょ。近道を行けば、迂回していれば遭遇しないであろう壁や障害に行く手を阻まれます。そこを突破するために、毎日稽古に励むのです。正解なんて誰にもわからないし、突破してみないと、それが近道だったのかどうかもわからない。だから近道を行った方がいいと思うのです。
~貴乃花光司~
(25) 背すじは伸ばしても、背伸びはするな。
~貴乃花光司~
(26) 相撲では、土俵に入る際にお辞儀をし、取組を終えたらまたお辞儀で終わります。これは見栄えのためにやっているものではありません。型通りの所作を地道に続けることで、勝敗がどのように決しようとも相手を敬う気持ちが醸成してゆくのです。そして、最終的にはそれら地道な所作を繰り返す自分に対しても、尊敬の念が芽生えてきます。
~貴乃花光司~
(27) 私は毎朝5時頃から自室で1時間はストレッチをして、体を十分に温めほぐしてから稽古場に下ります。指導する側も十分な準備運動をしてから稽古に臨むということです。弟子が四股を踏むときは一緒に踏みます。師匠が目の前で踏んでいたら、彼らも手抜きはできませんからね。
~貴乃花光司~
(28) 横綱になるより、なってからの方が大変でした。上を目指すことで、(現状を)維持することができるんですが横綱には上はありませんから。横綱は常に12勝以上しなくてはだめ。でも幕の内の力士で横綱とあたるのは強い人。ちょっとの油断で横綱も簡単に負けてしまうんです。横綱は毎日勝たなくてはいけませんが、相手は横綱に勝てば他は全部負けてもいいくらいの勢いでくるんです。金星は給料に上乗せされますし。横綱時代は、精神的なものが培われましたね。
~貴乃花光司~
(29) 昔は各学校に土俵がありました。いま土俵のある学校は全国にたぶん3ケタはないと思います。一対一で向き合い、はだしでおこなう相撲は足腰が強くなるし、もみ合いで体力がつきます。しこなどの基本動作はきちんとやると、自分の体重だけでこんなにきつい運動があるのかというぐらい足が震えてくる。反復運動ですから精神的にも強くなります。大変な時代のいま、とにかく子どもたちには元気で、活発でいてほしいという思いが強いですよ。
~貴乃花光司~
(30) 相撲界をやめたあとも活躍できれば、関取や親方になれなかったけれども相撲界で学んだことで成功していると、感謝の気持ちを持ってもらえると思います。これは相撲協会の公益法人としての一大事業ですね。
~貴乃花光司~